ところが源内は温度計の構造が分かっていたために「これしきのものを作り出すのは容易である」と豪語するのでした。源内はこの3年後には温度計の一種「寒暖計」を作っていますので、前述の言葉は嘘ではなかったのです(源内はオランダ語の読解能力はほとんどなかったようです)。大河ドラマに出てきた「量程器」(歩数を計る小型の機械)も、源内が改良して作ったとされています。

ちなみに先ほどの源内の言葉に深く頷いたのは玄白と淳庵、幸左衛門のみだったとの逸話が残っています。それだけこの3人は源内の才能を信じていたのでしょう。玄白の晩年の著作に有名な『蘭学事始』(1815年成立。蘭学草創の当時を回顧した手記)がありますが、その中に源内も登場してきます。その中で源内は「浪人者」で「業(なりわい)は本草家」(本草学者=薬物などの自然物を分類・研究する学者)と記されています。前述のように源内は文芸・殖産事業など、さまざまなことに手を出していきますが、本当に極めたかったのは本草学とも言われています。

平賀源内がオランダ商館で見せた「地頭の良さ」

そうした事情を考えると、親友の玄白に「業は本草家」と書いてもらったことに泉下の源内は大いに喜んだことでしょう。玄白は源内を「生得て理にさとく敏才にして、よく時の人気にかなひし生れなりき」(生まれつき物を理解するのが速く、才能があり、時代の気風にかなった性質であった)と『蘭学事始』で評価しています。これまた黄泉の源内が聞いたら泣いて喜んだことでしょう。玄白は源内の才能あふれるところを大いに評価していたのでした。

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源内の理解力や知恵にまつわる逸話も同書には記されています。ある年、オランダのカピタン(商館長)カランスが江戸にやって来るのですが、その宿舎には人が集まり酒宴が開かれました。玄白や源内もその場にいたのですが、カランスは急に袋を取り出して「この袋の口を開けてみてください。開けた人にこの袋を差し上げましょう」と言うではありませんか。