が、ごくわずかの駅に近い一角と、あとは新しい戸建て住宅がいくつか並ぶエリア、また道営住宅が建っているくらいで、空き地のほうが目立っている。
まったく何も進んでいないとは言わないが、“そこそこ”止まりというのが正しいところだろうか。少なくとも現時点では、新函館北斗駅前でいちばん目立っているのは東横インである。
そして、そんな区画整理された一角を抜け出れば、もうすぐに田園地帯である。それどころか、反対の北口は小さなロータリーの向こうが田園地帯。
だから、おおざっぱにまとめれば新函館北斗駅は周囲を完全に田畑に囲まれた、まるで秘境駅のごとき新幹線駅というわけだ。
ただし、北海道新幹線は将来的に札幌方面に向けて延伸する予定だ。そうなれば新函館北斗駅も終着駅から途中駅へ。だから駅前が開発途上なのも、未来を見据えればこんなものと言えなくもない。
それに新函館北斗駅は新幹線と同じ2016年に開業したばかり……と、言いたいところだが、こればかりはまったくの間違いだ。
この駅が開業したのは1902年。現在の函館本線が函館駅から延びてきて、最初の終着駅として誕生している。つまり120年以上の歴史があるということになる。
実は“開業120年超”の老舗駅…当初の「函館北斗」には何があった?
その当時の駅名は、本郷駅といった。周辺が本郷村だったから、村名から名前を頂いた。
その後、本郷村は周辺と合併して大野村(のち大野町)となり、1942年には渡島大野駅に改称。さらに大野町は2006年に上磯町と合併し、北斗市になった。
それから10年後の2016年に2度目の改称で新函館北斗駅になった。ちなみに、北斗市内の駅で市名が入っているのは新函館北斗駅だけである。
函館平野の中西部を占めていた旧大野町は、北海道における水田発祥の地としても知られる。この地域で稲作がはじまったのは江戸時代前期の1685年のこと。
もともと米は南方の作物で、寒冷地での栽培には適さない。だから、長らく稲作の“北限”が函館平野だった。いまでは日本有数の米どころの北海道、品種改良の末に道内各地での稲作が本格化したのは明治に入ってからだ。
こうした歴史を垣間見ると、新函館北斗駅が田園地帯で囲まれているのは田舎だとか開発が進んでいないとかそういうことではなくて、“最北の稲作地”の証というのが正しいのかもしれない。