いずれにしても、本郷駅として開業し、渡島大野駅を経て新函館北斗駅になったこの駅の120年の歴史は、ほぼ一貫して田園地帯の中にあった。

 ただ、そうした中でも1930年代には駅の周りにハムやソーセージの工場が広がっていたという。駅前広場の一角に、その歴史を伝える説明板があった。

 曰く、函館で本場・ドイツのソーセージ造りをしていたカール・レイモンが、事業拡大に合わせて1933年に当時の本郷駅前に拠点を移したのだという。牛や豚、羊の飼育施設も併設した3000坪の巨大な工場だった。

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 駅前の工場は1938年に政府に強制買収されてしまったが、戦後もレイモンは函館で長くソーセージ造りに勤しみ、いまでもカール・レイモンブランドは函館土産の定番のひとつになっている。

 

特急が“通過さえしない”小駅に新幹線がやってきた理由

 そんな歴史の一幕があったにせよ、田畑に囲まれただけの小駅は、特急などが停まるようなこともなくずっと脇役の立場に甘んじてきた。

 1966年に渡島大野駅を経由しない藤城支線が開通すると、下りの特急列車はそちらを走るようになっている。つまり、特急が停まるどころか通過すらしない、そんな小さな駅だったのだ。

 当時の面影は、駅の周りの田園地帯。そして、南口から西へと延びる古い通り。これが新幹線以前の渡島大野駅の“駅前通り”だ。

 両脇に民家がぽつぽつと連なる駅前通りを5分ほど歩くと、南北に通る比較的大きな道に出る。こちらにも両脇には民家が並んでいて、古くからのこの地域のメインストリートだったことを教えてくれる。

 少し南に向かって歩くと、1910年に建てられたという古民家もあった。戦後は長らく雑貨店だったという。きっと、他にもこの道沿いには商店なども並んでいたのだろう。「市渡」と呼ばれるこの町を南に抜けてずっと進んだ先が、旧大野町の町役場などもあった中心地である。

 
 

 いずれにしても、この町が農業を主産業とする小さな町であったことは疑う余地がない。そうしたところに忽然と現れたのが、新幹線と新函館北斗駅だったのだ。

 この場所に新幹線の終着駅が置かれたのは、さらなる延伸に都合が良かったこと、また在来線と新幹線の接続にもちょうどよく、近くに新幹線の車両基地を置くだけの余地があったことなどが理由だろう。