――コロナで何もできない期間を、身体を作る期間だとポジティブに解釈したわけですね。
ジュン ですね。それこそ朝起きたら、住み込みの仕事をする前に何時間かトレーニングをして、終わって帰ってきた後もトレーニングをしていました。かなり厳しいトレーニングを自分たちに課して、もし途中できつくてできないと感じたら、その時点で諦めようと思ったんです。それができないんだったら、プロレスの世界で通用するわけないですから。
レイ お金もないですから、絶対に成功したいという気持ちでした。昨年、楽天モバイルパーク宮城で始球式をやらせていただいたんですけど、その当時は学生さんたちと一緒に清掃のバイトもしてたので感慨深かったです。
ジュン 絶対に成功させてやるっていう一心だったな。
レイ 本当にそうだな。
プロレスデビューを後押しした2人の恩人
――そして、コロナが少し落ち着いた段階で全日本プロレスのテストを受けることになります。このとき、アメリカの世界的なプロレス団体「WWE」でも活躍されたTAJIRIさんの存在が大きかったとお聞きします。
ジュン 自分らの年齢を考えると、そもそもテストを受けさせてもらえるのか100%じゃない。履歴書を送るなどやり取りを進める中で、TAJIRIさんが「面白そうな2人だから」ってテストを受けられるように強く推してくれたんですよ。
レイ 受けられるとなれば絶対に合格できる自信はあったので、うれしかったです。テストに合格し、約半年間の練習生期間を経て、無事にデビューできました。
――このとき練習長としてお二人のコーチだったのが青柳優馬選手です。
レイ TAJIRIさんと青柳優馬の2人がいなかったら、自分たちはデビューできていなかったですね。
ジュン 青柳優馬は鬼のように厳しかったですけど、プロレスの基礎を含めてすべて叩きこんでくれました。
レイ あまりに厳しかったから、自分は1回やめたいかもって漏らしたことがあったんですけど、兄から「許さないぞ」って言われました(笑)。ジュンの方が気持ちが強かったんだろうな。
ジュン お前から誘っておいて、何言ってんだって話だろ。そりゃそんな言葉も出るぜ。
レイ あのときは……うん、悪かった。たしかにそれは俺が悪いな。

