――(笑)。お二人は2021年6月9日、後楽園ホール大会にて大森隆男・本田竜輝組を相手に揃ってデビューを果たします。リング上の光景はいかがでしたか?
ジュン いやぁ、緊張しましたね。
レイ 自分で言うのもなんですけど、デビュー戦は良い試合ができたんじゃないかと思っています。周りからも良かったと言ってもらえて手ごたえを感じました。ただ、2試合目以降、全然うまくいかなかったですね。試合を重ねていくたびに、技術不足や経験不足を痛感して思うようにいかなくて。
ジュン デビューしてから半年ぐらい経ったときくらいかな。TAJIRIさんから海外遠征に行ってみないかと誘われて。当時はまだコロナ禍なので、国内は声出しの声援を禁止するなど制限がある一方で、アメリカでは観戦に制限がなかった。もともと自分たちはアメリカに長く住んでいたこともあり環境面に関しては何も問題がないから、プロレスの視野を広げるためにも、「行きます」と即答しました。
レイ いろいろなものを吸収できたので大正解でしたね。
決め台詞「DOOM」が生まれたきっかけ
――約10か月アメリカマットで武者修行した後、凱旋帰国。このとき、ヒールユニット「VOODOO-MURDERS」に加入します。それを機に、お二人の決め台詞である「DOOM」も定着していきますよね。そもそもどうして「DOOM」と言い始めるように?
ジュン プロレスでもっと上に行くためには、ヒールユニットに身を置いた方がいいだろうと。モバイルサイトで日記を更新していたんですけど、ヒールになったことでタイトルを「DOOM FROM HELL」に変えたんですね。
レイ それまでのタイトルが、「斉藤兄弟のちゃんこよりピザが好き」だったんですけど、ヒールでこのタイトルは格好がつかないよなって。
ジュン それで日記の最後に「DOOM」と書くようにしたら、周りの選手から「DOOM」って言われるようになったんですよね。これは意外と使えるかもしれないということで、「DOOM」を決め台詞にするようになったんですよ。ちなみに、頭に指を突きつけるのがお約束のポーズなのですが、親指を立てると銃をイメージさせてしまってよろしくないので、正しい「DOOM」は親指を折りたたんでポーズをするようにしてください(笑)。
レイ 写真撮影のときとか、よく指導しているもんな(笑)。この「DOOM」のおかげもあって、覚えてもらいやすくなったというのはありますね。
ジュン ただ、ヒールユニットに入ったはいいものの、その10か月後くらいにミヤギテレビさんの『OH!バンデス』という番組内の一コーナー「TAXIめしリターンズ」にレギュラー出演するようになりまして。大変ありがたい反面、ヒールなのでタクシーを破壊したり、運転手さんの首を絞めたりした方がいいのかな……とかなり迷いました(笑)。

