笹川良一という金脈

 加藤と笹川を結び付けたのは、日本国政調査会の元事務局長で、大物右翼、豊田一夫の側近だった對馬邦雄である。豊田は、戦後の東京で、「銀座警察」と呼ばれた自警団に加わり、銀座や新橋界隈で名を馳せた後、「殉国青年隊」(のちに日本青年連盟に改称)を結成して頭角を現し、行動右翼の隊長として数々の武勇伝を残した。その人脈は多彩で、ボディーガード役を務めた元首相の佐藤栄作を筆頭にした政治家、三井不動産の中興の祖と呼ばれた江戸英雄会長ら大物財界人などの表の人脈に止まらず、住吉会を中心に裏社会にも縦横無尽に張り巡らされていた。

 なかでも関西電力の初代社長を務めた太田垣士郎から広がった電力人脈は絶大で、1975年に豊田が設立した東西警備は、東京電力、関西電力、中部電力、九州電力などのトラブル処理を担ってきた。そうしたなかで、豊田と関西電力との連絡役を担っていたのが對馬だった。對馬は2018年11月に亡くなっているが、生前、私の取材にこう話していた。

「福田事務所側には『株の決済で、明日までに1億円が要る』という話が来たようで、そういう細かい芸当なら、裏社会に強い男がいるということで私が呼ばれました。ただ、当時の私はまだ30代そこそこで、昼ご飯代にも事欠くような経済状況でした。加藤さんも私を見るなり、『どうせできっこないだろう』という感じで、頼んできた福田事務所の人たちですら、さほどアテにはしていない様子でした。それならと、私は人を介して笹川会長に話を持ち込みました。笹川会長は『貸す』とは明言せず、『(加藤を)連れてこい』とだけ言いました」

 指定された赤坂の料亭に向かい、座敷で笹川と対峙した時、それまで半信半疑だった加藤の表情は、神妙な面持ちに変わっていた。事情を説明した後、對馬はこう切り出した。

ADVERTISEMENT

「借用書を書きましょうか」

 すると、笹川はこう返した。

「借用書を書くということは、私が君たちを信用していないことになる。君たちの顔が借用書だ」

 その言葉に心酔した加藤は1億円を3日で返済したが、笹川は加藤に苦言を呈することも忘れなかった。

「信仰が足りないからこういうことになるんだ。信仰の道に入りなさい」

 笹川が言う信仰とは、彼が信奉する香港に本拠を置く道院の慈善団体、世界紅卍字会を指す。当時は銀座に日本支部があり、笹川はここを訪れるのが日課だった。そこには奉加帳が置いてあり、笹川は1日に2回訪れ、必ず通し番号と名前を記帳していた。

 對馬と加藤は揃って紅卍会の会員となり、對馬には平備、加藤には誠備の道名が授けられた。そこから加藤は笹川との関係を深め、多額の資金を融通して貰うことになるが、笹川は一筋縄でいく相手ではなかった。加藤はのちに「高い金利を払うことになった」と周囲に零していたという。