「ヂーゼル機器株」仕手戦の泥沼

 加藤にとって大きな転機が訪れたのは、1977年に入ってからのことである。この年、200億円を超える平和相銀の資金が注ぎ込まれたヂーゼル機器株の仕手戦が本格的に幕を開けていく。正和恒産の安積正の手引きで、平和相銀の“外様四天王”のうち、ゴルフ場やマンションの経営を手掛けていた大洋の杉尾栄俊や加藤の早稲田大の同窓でもあった日誠総業の次郎丸嘉介も仕手戦に加わった。

 次郎丸は加藤に“企画室長”の肩書の名刺を持たせ、4月に黒川木徳証券本店に日誠総業名義の口座を開設すると、野村證券大宮支店、日興証券横浜駅前支店、大和証券新宿支店など証券会社約10社に系列会社名義などで次々と口座を開き、加藤のアドバイスでヂーゼル機器株や岡本理研ゴム株で株式投資を始めた。小宮山一族も、平和相銀のオーナー・小宮山英蔵の娘婿である小宮山義孝が、5月に50万株のヂーゼル機器株を購入し、約1カ月後に売却して約2700万円の差益を得たことで、幸先のいいスタートを切った。

 当時は、英蔵の実弟である小宮山重四郎が、佐藤栄作の秘書から政界入りし、福田内閣で郵政相に初入閣。一時は秘書官に大洋の杉尾が付き、選挙資金集めの意図もあったと囁かれた。

ADVERTISEMENT

 前年までは200円台から500円台を行き来していた株価が、77年5月に800円台をつけ、8月には一気に2370円に急騰した。だが、そこから売り方との攻防は雲行きが怪しくなっていく。手持ち資金を上回る売買が可能な信用取引は、証券会社から株を借りて売買し、6カ月以内に決済しなければならない。その間、株価が急落すれば追加担保(追い証)が要求されることから、吊り上げた株価を維持する必要がある。平和相銀からの融資額はあっという間に200億円を超えたが、それでも売り物があれば、さらに拾って行かざるを得ない状況だった。株の買い集めを指揮する司令塔役は、監査役の伊坂重昭が担った。元特捜検事で、現役時代は「カミソリ伊坂」の異名をとったやり手だったが、伊坂の尽力も虚しく、事態は泥沼化の様相を呈し始めていた。

 この頃、加藤は別の大物とも知り合っている。政財界の黒幕と言われた日本船舶振興会会長の笹川良一である。二人の出会いについて幸子が明かす。

笹川良一が加藤に贈った笹川自身の肖像写真

「主人は、勝負どころだと思えば、お金がなくても後先を考えず、株の買い注文を出してしまう。その時も注文を出したものの、お金の工面が出来ず、4日後の期限が迫るなかで祈ることしかできない状況でした。切羽詰まって頼ったのが、福田赳夫元首相の秘書だった西村恭輔さんです。西村さんは1976年12月の総選挙で熊本から出馬して落選されたばかりでしたが、笹川さんに繫がる人を紹介してくれたのです」