政治権力、金力、暴力の三本柱
廿日会の会員が1980年3月に東京ヒルトンホテルのセミナーの様子を記したメモがある。それによれば冒頭で、加藤は聴衆にこう語りかけている。
「私、加藤は踏まれても、踏まれても根強い雑草のごとく大衆投資家、特に皆さんのような素人の投資家を守っていきます。今や、天の時、地の利、人の和を得た誠備は、誰もどんな力も引きずり下ろすことの出来ないところまで成長しました。勿論ここに出席されている皆さんは、やがて億万長者になる人たちです」
そして加藤は、誠備グループが「権力、金力、暴力」の三つの力を手中に収めたとブチ上げた。権力とは、すなわち政治力であり、大蔵省や東証も誠備に一目も二目も置くようになったとし、それは自らが自民党各派だけでなく、公明党、社会党の政治家とも深い関係にあるからだと説明した。「玉置和郎参院議員は、特別な誠備の応援者で、どんな公私行事もさしおいて誠備発展のために努力してくれると言っています」と語り、田中角栄、福田赳夫という二人の元首相、渡辺紘三、小泉純一郎、地崎宇三郎、山口敏夫、毛利松平、渡部正郎、稲村利幸、福家俊一らの名前を次々と口にした。
金力については、関西電力の芦原義重会長や新日鉄の斎藤英四郎社長などの名前を挙げ、「日本を揺り動かすような資金を持っている人達と密接に結びついている。廿日会の全部の資金を集めても、私の動かす資金量からみれば取るに足らないようなもので、当てにもしていない。皆さんがお出しになっている資金については絶対迷惑は掛けません。むしろ年最低でも倍以上になります。元本保証で年倍以上になる、こんないい投資が他にありますか」などと煽ってみせた。
最後の暴力に関しては、笹川良一との親密さをアピールしつつ、「この世はカネと権力だけではダメで、この裏の世界の暴力の力も持たなければいけません」と持論を展開し、山口組や稲川会、住吉連合会(当時)、東声会などの組織名を挙げて交渉事における暴力装置の重要性を説いた。熱狂する聴衆を前に、幾分かのリップサービスはあっただろう。ただ、妻の幸子は、決して誇張ではないとして、こう解説してみせた。
「顧客のなかには、のちに首相になる中曽根康弘さんもいました。明治大学の空手部OB、丸国証券に勤めていた主人の友人から同じ和歌山出身の政治家として紹介されたのが玉置さん。玉置さんとは私も直接お会いしています。もともと主人は福田赳夫元首相の系統の方々と縁が深いので、福田派の小泉純一郎さんなどは弟さんがよく事務所に来られていました。選挙が始まると、小泉さんやのちに建設大臣を務めた大塚雄司さんの事務所など何カ所かは陣中見舞いに行っていました。出産前は私も主人の仕事をずっと手伝っていて、株券や大金を兜町に届ける運搬役を任されていました。何かトラブルがあった時は助けてもらおうと、稲川会の石井さんの連絡先だけは必ず肌身離さず持っていました。主人は暴力団関係の方との付き合いも深く、故郷・広島の共政会の山田久会長とは、地元で行なわれた主人の友達の結婚式で一緒になって以来、親交がありました」
折しも、総力戦で臨んだ宮地鉄工所の仕手戦では、1979年12月に210円前後だった株価が、80年8月には2950円のストップ高を記録。誠備グループは宮地鉄工所の全株式の70%以上を買い占めるまでになった。戦後最大と呼ばれた一大仕手戦が山場を迎えようとしていた。
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