省庁再編 至上命題は「とにかく分割されないこと」
――教育改革国民会議と教育再生会議の中間ぐらいの時期になりますが、2001年には省庁再編があり、文部省と科学技術庁が統合し、文部科学省が誕生します。
前川 省庁再編については、かなり初期の頃から関わっていました。与謝野大臣の秘書官を退任した95年から96年にかけて、教育助成局企画官の仕事と並行して大臣官房に新たに設けられた行政改革推進室の室長をやれと言われたんです。これは当時の橋本(龍太郎)内閣の行政改革会議に対応するための官房長直属の組織で、省庁再編について大きな戦略を練るところでした。文部省の至上命題はとにかく、分割されないようにすること。それで、一番競合していたのが科学技術庁でしたから、ここと統合する道しかないだろうと。
――かなり早い段階から戦略的な対応をしていたんですね。
前川 そのときに、原子力関係はどうするんだという話にもなったんですが、これは当時の佐藤禎一官房長と、通産省の官房長とが話をつけて、経産省が所轄するようになったんだと思います。
――橋本行革で文部省に関わりがあったもう一つ大きなことは、国立大学の法人化です。
前川 佐藤官房長はもともと国立大学法人化論者だったんです。国立大学を法人化したほうが大学の自主性、自律性を高めることができるはずだ、文部省の付属機関の形で置いておくほうがおかしいんだ、というお考えだったと思います。
文科省でいちばん目立つ局は?
――ところが2004年に国立大学法人化が実施されたあと、大学関係者が口々に言うのは「年々予算が減らされて研究もできないし、環境も悪くなっている。その割にはカネを文科省が握っていて、口を出されて困っている」ということです。
前川 いや、もう本当にそれはごもっとも。行革という観点からは、自由を与える代わりに財源を絞ることはセットではあった。これまでずっと各国立大学の運営費交付金を毎年1%減らしてきているわけで、国立大学の基盤的経費の少なさはもう明らかに限界に達していますよ。資金獲得のために研究競争に駆り立てられる部分が大学に出てきてしまったのも、そこに原因があります。これは大学行政としては非常に歪んだ形であって、やはり運営費交付金をちゃんと保障するようにしなければならないと思います。これは文部省、文部科学省がきちんと財務省と対決してこなかったことに問題があったと思います。
――財務省では主計局が看板局であるように、文科省にも看板局はあるのでしょうか。
前川 どうでしょう、初等中等教育局が一番目立つ部署であることは間違いありません。ここは国会で質問されることが一番多いんです。世の中の関心も高校以下の学校については非常に高いですし、事務次官になる人もこの初中局長経験者が多いのは事実です。
――前川さんはよく初中局の出身といわれますが、高等教育局の出身でもありますね。
前川 高等教育局は係長で2年勤めただけです。ここの局長から次官になる人も結構いるんですよ。加計問題で高等教育局長が国会答弁する機会も多くなり、現在は初中局より高等教育局が目立っているというのはなんとも皮肉な話ですが。
写真=榎本麻美/文藝春秋
#3 安保法制反対デモに参加した事務次官 前川喜平が語る「安倍政権下の“苦痛な仕事”」 http://bunshun.jp/articles/-/7863 に続く
まえかわ・きへい/1955年生まれ。1979年文部省入省。2017年1月、文部科学事務次官を辞任。近刊に『面従腹背』(毎日新聞出版社)。