昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

大谷翔平「二刀流のせいでケガをした」という“先入観”を乗りこえて

『大谷翔平 野球翔年 Ⅰ日本編2013-2018』著者が追った5年間の軌跡

2018/06/29

両方やるから難しいのではなく、どちらも難しいのだ 

 6月8日、エンゼルスは大谷が右ヒジの内側側副靱帯を損傷したとして、10日間の故障者リスト(DL)に入れることを発表した。6月7日に受けたPRP注射による治療の経過を見守り、3週間後に再び右ヒジの状態を診断することになるという。

 今シーズン、メジャーでも投打にわたって傑出する力を示した大谷の故障離脱に、またぞろあちこちの野球人から同じような声が漏れ聞こえてくる。

 またか、と思う。

©鈴木七絵/文藝春秋

 ピッチャーとしてもバッターとしてもこんなに高いレベルにあるというのに、『どちらかに絞ればもっと凄くなる』という先入観に縛られた野球人は、相変わらず少なくないのだ。そういう価値観の持ち主は、結果を出せなかったり、ケガをしたりすると、俄然、声が大きくなる。

10年に一人から100年に一人の逸材へ

 確かに大谷がピッチャーに専念すれば10年に一人の超一流、バッターとしても10年に一人の超一流になる可能性は高い。しかし一人でそれを両方こなせば、どちらも一流の選手は100年に一人だ。大谷は言っていた。「感じているのは、両方やるから難しいのではなく、どちらも難しいということ。プロはピッチャーもバッターもレベルが高いですし、どちらかに絞っていたとしても、もっと勝てたのかとか、もっと打てたのかと言われれば、僕はそうは思いません」

©鈴木七絵/文藝春秋

 前人未踏の二刀流――子どものころから、誰もやったことがないことに挑戦したいという意識が高かったと、大谷の母、加代子さんがこう話していたことがある。「昔から翔平には人のできないことをやってみたいという冒険心があったと思うんです。花巻東に入る時も『(菊池)雄星君たちの代で全国優勝していたら違う高校に入っていた』と言ってましたし、メジャーに挑戦したいと言ったときもパイオニアになりたいと言ってました。誰もやったことのないことをやりたいんでしょう」