「何がダメなのかは説明ができないし…」家庭教師との行為を両親に相談できなかったワケ
――そういった行為は、自室で行われていたんですか?
後藤 子ども部屋ではなく、誰でも入れる和室でした。だから鍵とかもかかっていなかったし、なんなら親のいるリビングとも近い距離でした。親が入ってきそうな雰囲気のときは行為を急いでやめたり、隠したりして。
――ご両親に相談することもなかった?
後藤 子ども心に、なんとなく親には言えないことをしている、という意識はあったんです。何がダメなのかは説明ができないし、頭では理解できなかったけど......。だから相談することもできなくて。
――いつまで性加害が続いたのでしょう。
後藤 小学校5年生ぐらいから小学校6年生が終わる頃までなので、1年半くらいの間ですね。
中学受験が終わったら、がっつり勉強することがなくなって、家庭教師も来なくなったんです。しかも、中学校に上がるときに引っ越しをして、隣の市に移ったんですよ。
――志望していた中学校には受かったんですか?
後藤 中学受験は当然失敗しました。家庭教師が来ても勉強の時間は2~3割しかなかったから、頭に入るわけないですよね。
中学受験に失敗したあとは、家の教育方針が変わった気がします。習い事も一切しなくなって、母親から「勉強しなさい」としつこく言われなくなりました。あまり期待されなくなったけど、自由にはなりましたね。
性加害だったと理解し始めた頃、家庭教師が戻ってきて…
――家庭教師の行為に違和感を持ち始めたのは、中学生になってからだそうですね。
後藤 中学に入ると周りの同級生たちが性に興味を持ち始めて、そういう話題をよく話していたんです。性行為の存在や、性器を触るという行為の意味とか。
それで、だんだんと家庭教師との行為が何だったのかがわかり始めて。あれは良くないことだったんだと認識するようになりました。
――性加害を受けたことを初めて理解した。
後藤 中学に入って半年ほど経ってから、家庭教師がまた戻ってきたんです。すごく仲が良かったから、母親が「またあのお兄さんに勉強を教えてもらおっか」って呼び戻したんですよ。
ただ、そのときには性加害を受けたという認識があったので、気持ち悪くて仕方がなかった。僕が拒絶するような態度を取っていたから、家庭教師も触ったりはしてこなかった。
――仲が良かったと信じきってるお母さまは、不審がりませんでしたか?
後藤 母親は、単なる思春期の反抗だと思っていたようです。僕が拒絶的な態度を取るようになったので、少し経ったら家庭教師は呼ばれなくなりました。
――家庭教師の行為が性加害と気付いてから、ご自身に変化はありましたか。
後藤 家庭教師の行為の意味に気付いてからは、男性に対して強烈な嫌悪感を抱くようになって。フラッシュバックも起こすようになったんです。
写真=細田忠/文藝春秋
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