名古屋方面で取材があったついでに鶴舞中央図書館に足を伸ばし、事故があったとされる時期の地元紙の縮刷版をめくったが、サメの襲撃に関する記事は見つからない。

 そもそも、1938年といえば国家総動員法が制定され、日本が太平洋戦争へと突入していく最中であり、紙面は緊迫する国際情勢と国民生活に関する記事で埋めつくされている。さらに戦局が厳しくなるにつれ、物資不足で新聞自体がどんどん薄くなっていく。終戦から2年後の1947年でさえ朝刊は実質4頁しかなく、その限られた紙面でサメの襲撃が必ず記事になるかといえば、そうとばかりは言えないのかもしれない。

「私の親類に“叔父さんがサメに襲われて死んだ”という人がいて…」

 こうなったら一度、島に行ってみるしかないか――。そう考えた私は、日間賀島観光協会にメールを送った。75年以上前に日間賀島で起きたサメ被害について調べていること、事故のことをご存じかもしれない方にお心当たりはないか、という観光協会本来の業務からは逸脱した“お問い合わせ”を申し訳なく思いつつも、他に手がなかったのだ。

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 するとメールを送った翌日、観光協会のIさんという女性から携帯に連絡があった。

「先日はお問合せいただき、ありがとうございました。お問合せいただいたサメの事件についてなんですけど、やっぱりかなり昔の事件なんで、知っているという方は今、島にはいらっしゃらなくて……」

 まぁ、そりゃそうだよな、と思いつつ、わざわざ電話をいただいたお礼を述べようとしたとき、Iさんが意外なことを言いだした。

「……ただ、私の親類に“叔父さんがサメに襲われて死んだ”という人がいて、その人を紹介することならできるんですが、どうしましょうか?」 

次の記事に続く 「そうだね。わしの父親の弟だね」19歳でサメに脇腹を食いちぎられ…“連続人食いザメ事件”被害者の親族女性が語ったこと

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