「10時頃にサメによる事故が発生した」

 この冊子の中では、日間賀島周辺で起きた他のサメの襲撃事故についても触れられている。例えば1950年8月下旬に起きた死亡事例については、当時16歳で現場を目撃した人に聞き取った内容を記録している(論文では実名)。ちなみにこの事故は久芳さんの事故の3年後に起きている。

〈朝8時頃3名で伝馬(※編集部注:手こぎ舟)に乗り、日間賀島地先の北東にある内寺(ねいじ)岩礁にカレイ、クロダイなどを銛を使った潜水漁で漁獲していた。9時頃からK氏を伝馬に残し、2名が潜水漁を始め、10時頃にサメによる事故が発生した。サメは3mで種類については確認できなかった。日間賀島資料館に展示してある1935年頃の写真のメジロザメ科のサメによく似ていたと述べている〉

 襲撃してきたサメの大きさが3メートルで〈メジロザメ科のサメに似ていた〉と証言していることは注目に値する。また小舟に複数人で乗り込み、そのうち海に入っていた1人が襲われているという点では、久芳さんの事故と似ている。

1995年の事故では、何が起きたのか?

 私がとくに興味を持ったのは、この冊子が作られるきっかけとなった1995年の事故に関するレポート(※2)である。

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 以下、“シャークアタック”研究の最前線を走る研究者であった前出の矢野によるレポートをもとに事故の状況を再現する。

 事故が起きたのは1995年4月9日、場所は愛知県渥美半島の1km沖合いである。位置関係でいえば、日間賀島や篠島の海域からは8~10kmほどしか離れていない。

日間賀島の宿の窓から筑見島、篠島方面を臨む

 被害者のAさんはスキューバ用のウエットスーツを着込み、水深27メートルでナミガイ(白ミル)を漁獲中だった。周辺には同じく潜水漁を行っている船が8隻ほど操業していたという。ナミガイ漁は、コンプレッサーで海水を汲み上げ、その海水を長さ50メートルほどのホースを通して海底付近まで運び、海底に吹き付けることでナミガイを掘り起こすという。

 異変が起きたのは10時15分頃のことだった。