名古屋から“一番近い島”として知られる愛知県・日間賀島(ひまかじま)。この周辺の海域で、12年のあいだに8件のサメによる襲撃があり、襲われた全員が死亡しているという。この知られざる「人食いザメ事件」はなぜ起きたのか?(全4回の4回目/#1から読む)
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「なにせ昔のことで記憶も曖昧ですし……。それでもよければ」
小沢(仮名)は水生生物の専門家であり、日間賀島におけるサメ被害の調査にも関わったことがある。この記事の中で何度も登場している“シャークアタック”の専門家である故・矢野和成博士とも、もちろん面識がある人物だ。
ただ「もう第一線は退いているから」ということで今回は匿名での取材となった。
“日間賀島のサメ”と関わるようになった理由
――なぜ、日間賀島のサメについて調査などで関わるようになったのですか?
「たまたま日間賀に遊びにいったときに資料館(日間賀島資料館。現在は閉館)で“サメ狩り”の映像を見たんです。昔のニュース映画だったと思いますが、サメによる咬傷事故で漁師の方が亡くなったりしたというので、いわば“弔い合戦”として漁師が船を連ねてサメ捕獲作戦をやったという話でした」
改めて、日間賀島とその周辺の海域における連続襲撃の概要を抜粋しておく。1938年から1950年までの間に、日間賀島から篠島にかけての狭い海域で実に8件のサメによる襲撃が起き、襲われた全員が亡くなっているのだ。
後に小沢が調べたところ、映像で見たような“サメ狩り”が行われたのは太平洋戦争直前のことだったというから、1938年か1939年の篠島における女性の死亡事故を受けてのものだったのかもしれない。
また民俗学者の瀬川清子も1938年に日間賀島に向かう船内で聞いた島民同士の会話について〈鱶(※編集部注:フカ/サメ類の特に大きいもの)に片腕を食われた男の話がもっぱらで、今日も島人が総動員で、その鱶を捜索しているという〉(『日間賀島・見島民俗誌』)と書いているから、この当時、日間賀島やその周辺の海域でサメ被害が相次いでいたことは間違いないだろう。
一方で“サメ狩り”の映像で小沢は、漁師たちがサメ漁のための長い銛などの道具を手にしていたのを見て「なぜ彼らはそんな道具を持っていたのだろう?」と疑問に思った。調べてみると、日間賀島が古来よりサメ漁が盛んな島であり、ここで獲れたサメの肉が朝廷などに献上されていた歴史を知ったという。
――戦前から戦後にかけてのサメの“連続襲撃”については、どう思われますか?
「うーん(少し考えてから)……。僕は20代の頃から漁業者の方とはずっと付き合ってきて、一緒に船に乗って網を上げたこともあります。よく漁師の仕事について“板子一枚下は地獄”というけど、本当にそうなんですよね。網を巻き上げるロープに巻き込まれて指が飛んだりとかは日常だし、潜り漁の場合は潜水病で亡くなってしまうことも珍しくない。朝、出て行った人が夕方に帰ってこないということが普通にある世界なので、サメに襲われることもあるだろうな、と」