ちなみに前出の「サメ類の被害防止、生理、生態に関する研究報告」(1996年)には日間賀島や篠島の各漁協の潜水漁従事者に対するアンケート結果も掲載されているが、潜水中にサメ類と遭遇したことがある人の割合は、だいたい10%から13%という結果で、多くは小型のサメであった。
「サメ被害のあった年で何か思いつくことはないですか?」
それにしても――。調査や取材を重ねるほど、日間賀島とその周辺の海域で12年間で8件もの死亡事故が起きたことの異常さが際立ってくる。いったいあのとき、何が起きていたのか。
すると小沢が突然、「この1943年とか1946年とか、サメ被害のあった年で何か思いつくことはないですか?」と口を開いた。「……太平洋戦争ですか?」と首を捻ると、小沢はこう言った。
「地震ですよ。南海トラフ」
太平洋戦争の最中、今でいう「南海トラフ地震」が起きたが、徒(いたずら)に戦時中の国民の不安を煽るべきではないという理由で報道管制が敷かれたという話は聞いたことがあった。
正確には、このときの南海トラフ地震は東西に分かれて時間差で起きており、まず1944年12月に熊野灘沖を震源とするM7.9の「昭和東南海地震」が発生し、その2年後の1946年12月には和歌山県最南端の潮岬沖を震源とするM8.0の「昭和南海地震」が発生。また南海トラフではないが、1945年には内陸直下型の三河地震も起きている。いずれも甚大な被害をもたらした。
日間賀島での“シャークアタック”が頻発していた時期と、日本列島の南で地震が頻発していた時期が微妙に重なりあっているのは偶然だろうか。地震が起きるとき海底では――。
「……磁場の変化ですか?」
小沢が頷きながら、こう“種明かし”をした。
「伊藤さんからこの件で電話をもらったとき、ちょうどニュースで南海トラフ地震の被害予測の話題が出ていたんです。それで“もしかして”と思いついただけの話なので、科学的な裏付けは何もありません」
「ただ……」と小沢が続ける。
「サメ類やエイ類には『ロレンチーニ器官』と呼ばれる生物が発する微弱な電流や磁場を感知する感覚器官が備わっています。これにより海中で獲物を探したり、また地磁気情報を受け取る能力もあるとされています。地震が頻発するということは、海中でも磁場の変化があるはずです」
地震活動の活発化に伴う磁場の変化の影響を受けた大型サメ類が、通常では考えられないほど沿岸部に接近し、日間賀島周辺の海域にまで引き寄せられた――そんなことが、実際にあったのだろうか。
小沢が強調する通り、今のところ科学的な根拠は何もない“思いつき”ではある。だが日間賀島のケースはそれぐらい異常なことが起こっていなければ、説明がつかない事象であったことも確かである。
“シャークアタック”の検証の難しさ
一方で小沢の話を聞いて改めて感じたのは、“シャークアタック”の検証の難しさだ。
例えば私が日頃取材しているクマの場合、人間を襲った個体があれば、現場に残された足跡や体毛などの痕跡から、問題のクマがどこからやってきて、どういう具合に被害者に遭遇し、なぜ襲ったのかまで、ある程度の推測は可能だ。とくに足跡は問題個体の大きさや性別、年齢さらにはその性格まで様々な情報を教えてくれる。2019年から2023年にかけて66頭の牛がヒグマに襲われたケースでも、現場に残された足跡や体毛から採取されるDNAにより「OSO18」による“単独犯”と断定できたわけである。
ところが足跡を残さないサメの場合、事後検証はほぼ不可能だ。現場に居合わせた人間の目撃情報しか手がかりはない。日間賀島の連続襲撃についても、小沢によれば「人を襲って死に至らしめるほどの大きいサメが当時、そのへんにゴロゴロいたかというと、そうは思えない」とはいうものの、単独犯か、複数犯かの断定は専門家の知見をもってしても難しい。
いったい、あのとき、日間賀島の海に何が潜んでいたのか――。
今となっては78年前の悲劇をうかがわせるものは何もない日間賀島の美しい海を眺めながら、答えの出ない謎だけがぐるぐると私の頭の中を回っていた。
(文中一部敬称略)
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