「いくらでもアイデアあるんだもん」
もう一ちょう、話は『レインボー』だ!
レインボートラウトを、イギリスから南アフリカまで運んだ、日本人漁師の若者瀬川渓心と、イギリス人の釣り人トーマス・ハンター。みなさん、南アフリカには、明治時代にイギリスから運ばれた、レインボートラウトがいるんですよ。
「海外には、虹と呼ばれる美しいマスがいるらしい」
このことを知って、ぜひともこれを釣りたいと、ユーラシア大陸に渡る渓心。そこで知り合ったトーマスと、レインボーの発眼卵(はつがんらん)を運ぶ。時あたかも、ボーア戦争のまっただ中。運んでいるものが、ダイヤか黄金かと間違われて、たいへんな追いかけっこだ。しかし、暑さのため、発眼卵が全てダメになりそうになる。そこで、落っこちた穴の底に流れていたのが、14度の水だよ。
人類のゆりかごと呼ばれる南アフリカのこの地には、やっと歩きはじめた猿人の子供が、似たような穴に落ち込んで、その死骸が、鍾乳石におおわれて発見されたことがある。川と釣りの取材で、その現場をおれは見てきたんだよ。
南アフリカでは、長い間、アパルトヘイトで黒人は、おれの行った川ではレインボーを釣らせてもらえなかったんだ。それがマンデラが大統領になって、釣れるようになった。
人間を、肌の色で判断しない。
それが、マンデラの「レインボー・ネーション」だ。
レインボーも、釣りも、自由の象徴だよ。
物語のスタートは、老いた瀬川渓心が、家のベランダで、腰かけているところからだ。
黒人と日本人の血をひいた、孫のイワナが、
「おじいちゃん、今日から、レインボー、隠れて釣らなくてもいいの?」
渓心のテンカラ竿を手に持って言う。
「もちろんさ。行っておいで──」
ああ、書きたいね。
書きたいな。
ええい、『水戸黄門伝奇行』はどうだ。
水戸光國──つまり徳川光圀は、知る人ぞ知る『大日本史』の編纂者だ。
我が日本国の歴史を細かく書き記した大著だ。江戸時代に始まって、完成したのは明治時代になってから。
これを編纂している時、
「これは史実かどうかわからんなあ」
と、おくら入りした情報が、実は無数にあるという設定だ。
たとえば、大陸へ渡った義経である。
たとえば、邪馬台国がどこにあるか、である。
たとえば、スサノオの真の出自である。
「助さん、格さん。これを調べにゆきましょう」
と言って、黄門さまが、助さん格さんと一緒に、日本中を旅してまわる江戸の伝奇小説。これが『水戸黄門伝奇行』だ。
どうだ、どうだ。
激しくおもしろそうじゃないか。
『最終小説』はどうだ。
これ一冊あれば、他の全ての小説がいらなくなる物語。あらゆる小説の感動が、この一冊の中に全て入っている。そんな一冊を、もうおれは、半分以上頭の中で書きあげてるんだよ!!
『須弥山登攀記』
『イグドラシル』
『哭きいさちる神』
『S氏とF氏の懺悔録』
『恋する両面宿儺』
『かかって恋』
どうするんだ、どうしてくれるんだ。
いいかね、諸君、オレはもう、おいらの頭に中にあるこれらの物語を全部書くことなく死ぬことを覚悟している。
だって、おれって、天才だから。しかも、ばかだから。いくらでもアイデアあるんだもん。寿命が追いつかねえんだよ。こんな悲しいことばっかよ、世の中は。
でも、困ったことにそこがおもしろい。生きることの妙味だ。小説や物語を書くおもしろさじゃないの。