新作のアイデアを編集者に話したところ……

 ついでだから書いちゃうけどよ、実は10年以上も前から考えていることが、幾つかあるんだよ。

 それはねえ、たったひとりのためだけに書く小説だ。

 とりあえず、日本に限定すれば、この日本の中から、誰かひとりを選ぶ。選ぶというのはちょっと上から目線だが、わかりやすくするために、選ぶということにしておく。その方を募集でも、抽選でも何でもいいから、ただ独り選んで、その方にぼくが問う。

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「どういう小説が読みたいのか」

「主人公は、男性がいいか、女性がいいか」

「どんなストーリーが好みか」

「恋物語?」

「ハッピーエンド?」

「ファンタジー?」

「格闘もの?」

「SF?」

 そして、ぼくの持っている小説的技術の全てを、その方の好みの小説を書くために捧げるのである。

 書きあがったらば、当然、それはみんなが読めるかたちで発表するわけだが、書く方、つまりぼくは、そのたったひとりの方のためだけにその作品を書くことになる。通常は、小説というものは、マスを相手に書くものだが、この独覚(どっかく)小説はただひとりの読者のためのものだ。

 どうよ、これ。

 どうしてこんなことを考えたのかというと、これまでぼくは、自分がおもしろいと思ったものだけを(あたりまえかもしれないが)ずっと書いてきた。こういうものが、今売れるだろう、こういうものなら需要があるんじゃないの、という発想で書かれたものは、ただの一本もない。

 しかし──

 それが、もしかしたら、ぼくの限界なんじゃないかとも思うようになったのである。自分と違う発想で物語について、誰かに考えてもらう──そうすると新しい自分の可能性を広げられるんじゃないか。自分がおもしろいと思うものだけを、自分の発想だけで書いていると、自分という人間を包んでいるある種の“呪(しゅ)”のようなものから抜け出せないのではないか。自分ではない、ひとりの人間のためだけに書く方が、未知の、新しい自分の可能性を広げられるんじゃないか──というより、思いついちゃったら、やってみたくなってしまったのである。

 もうひとつは、結末が、そのつど何パターンもある物語。

 小説を書いていて思うのは、ここでこのキャラクターが死ななかったらどうよ、それには、こういう枝道が派生して、そちらの展開がこうなって、ああなって──つまり、

“イフ”

 もしもあの時という、もう一本の選択肢が見つかるたびに、そのつどそちらの枝道のストーリーと結末も書いてゆくという書き方だ。

 これだって、やりようによっては、かなりおもしろくなるのではないか。ゲームの世界では、よくあることだ。

 どうよ、こういうやり方。

 まだ誰もやってないんなら、このおいらがまず最初に──と思って、

「こんなのどうですか」

 と、知り合いの編集者に話をすると、

「それは、おもしろそうですねえ」

 と、まず必ず言う。

 しかし、

「では、それをぜひうちで」

 とは言わない。

「おもしろいですが、まずは、今のうちの連載の○△×を終らせてからですね」

 アーメン。

 脱線してしまった。

 ともかく、そんなわけだ。

 どんなわけだよ。

 ともかく、前々からわかっていることが、ひとつだけある。

 それは──

 人は皆、必ず何かの途上で死ぬということだ。

 やり残したことだらけ。

 なんでだよ、ったって、そういうもんだ。

 だから──

 安心して下さい。

 安心せよ。

 そのことに安心して下さい。

 どうやらぼくは、私は、もう少し、この好きな仕事をやってゆけそうです。

 釣りもできそうです。

 おおいに、騒いでおきながら、すんまっせんが、どうもそういうことのようです。

 というわけで、みなさん、もうしばらく、よろしくということでした。

2022年4月14日 都内某病室にて
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