2020年4月、兵庫県尼崎市のとあるアパートで、ある女性が室内の金庫に3400万円を残して孤独死した。身元不明の死者「行旅死亡人」として官報に掲載されていた彼女は、いったい何者なのか?
ここでは、取材をした共同通信記者、武田惇志さんと伊藤亜衣さん(現在は退職)の共著『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)より、一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
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遺留金を充当して行われた火葬
6月4日の昼すぎ、私は尼崎市にある太田弁護士の事務所を訪れた。奥の部屋に通してもらうと、すでに準備をしてくれていたようで、遺品や資料類が机に積まれていた。
関係書類がぎっしりと詰まっていたフラットファイルを机に広げ、メモを取るためのノートパソコンを起動させる。全部目を通して必要なところをメモするとして、数時間はかかるだろう。裁判所で訴訟資料を書き写すことには慣れていたが、今回は文字資料以外の遺品もあり、手間取りそうだった。
どこから手をつけようかとファイルをパラパラとめくっていると、「遺産目録」の項目が目に飛び込んできた。目録には以下の4点が挙げられていた。
・通帳2冊:ゆうちょ銀行・三井住友銀行 名義はいずれも「田中千津子」
・キャッシュカード1枚 三井住友銀行「タナカチズコ」名義
・年金手帳1冊「田中千津子」名
・遺留金34,600,520円
遺留金は、うち20万6000円を葬祭費に、1万4830円を官報広告掲載料へ充当し、さらに4230円を相続財産管理人選任に伴う官報広告費に充当したとある。行旅死亡人が財産を残している場合、このように諸手続きの費用に充てられるのだという。
なお、金庫にあった現金は新札ではなく、古い札を輪ゴムで留めたり、ビニール袋や封筒で小分けにしたりして保管されていた。さらに、金庫にはネックレスなど宝石類も数点あったことが判明しているが、なぜか後に所在不明となっている。
尼崎市が神戸家庭裁判所に対し記した資料によると、遺体発見時の状況は次のようだった。
「令和2年4月26日午前9時4分に錦江荘2階の玄関先において左横臥(おうが)に倒れ絶命している状態を発見された。死体検案の結果、令和2年4月上旬頃に死亡したことが判明した。死体の所持品から死体は『田中千津子』の可能性が高いため、尼崎東警察署により身元調査が行われたが、身元判明には至らず行旅死亡人として尼崎市へ引き継がれた。
本市の取扱いとしては、主の身元が特定されていないため、相続人の存在を確認する手段が無く、早急に火葬を行う必要があり、その目的の限度において、尼崎市が主の遺留金を充当し、火葬を行った。民法952条1の規定により、神戸家庭裁判所に対し、相続財産管理人の請求を行うものである」
民法952条は相続財産について規定している。この規定に則(のっと)り、尼崎市は相続財産管理人を神戸家庭裁判所に請求したのである。