新垣の「不可欠な験担ぎ」

 同い年の彼は普段の付き合いから、新垣に人を笑わせる才能があることを知っていた。背中を押された新垣は、その場で人気アニメ「ちびまる子ちゃん」の父親の物真似をした。場が弾け、勝負の場に笑いが起こる。そしてその日、チームは試合に勝った。だから新垣は翌日も芸を披露することになった。

 なぜ勝って、なぜ負けたのか。その理由を明確に説明できる者など存在しない。プロの勝負とは、それほど不確定要素に左右される。だからこの世界に生きる者たちは、たとえ微かでも縋れるものがあれば縋るのだ。

新垣はチームの盛り上げ役として活躍 Ⓒ時事通信社

 やがて、投手たちが妙に盛り上がっていることに気付いた野手たちが見に来るようになり、ついには栗山やコーチ陣も加わるようになった。ゲーム前に皆で笑う。大型連勝の初期に始まった新垣の芸は勝ち続けるにつれ、チームの中で不可欠な験担ぎになっていった。

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 元々人を笑わせることは嫌いではなかった。少年時代は関西の人気お笑い芸人の番組を欠かさず見ていた。初めて人前で芸を見せたのは高校時代、野球部の仲間たちに対してだった。恥じらいを捨て、人前で自分をさらけ出すことは、マウンドに立つ上でも役に立った。人を笑わせることは、投げることと同様に新垣にとって欠かせない自己表現であった。ただ、これほど毎日求められたのは初めてだった。

 傍目には、おどけているだけのように映っただろう。だが新垣はチームが勝つ度、毎夜ホテルの部屋に戻り、眉間を緊張させて翌日のネタを考えていた。また明日も皆が待っている。追い立てられるようにインターネットから時事ネタや替え歌の候補を探した。それをアレンジすると動画に撮って、話し方や間を確かめた。時には作業が深夜に及ぶこともあった。そして胸の奥には忸怩たる思いも抱えていた。

月刊文藝春秋と「文藝春秋PLUS」で連載中の鈴木忠平氏のノンフィクション「No time for doubt」

 新垣が一軍に合流したのは大型連勝が始まって3試合目だった。そこからの11試合をチームは全て勝っていたが、そのうち新垣が登板したのは1試合1イニングのみ。いつでもいけるようブルペンで準備はしていたが、お呼びはかからない。ビハインドを背負った場面でのロングリリーフ要員である以上、連勝中に出番がないのは仕方ないことだったが、投手としての葛藤がなかったといえば嘘になる。

 投げたい。マウンドで力になりたい。

 そんな鬱屈を抱えながら、新垣はコメディアンを演じ続けた。背中を押してくれたのはチームメイトたちの笑う顔であり、チームの勝利であり、中田翔や大谷翔平といった球界を代表する才能を持った選手たちが掛けてくれる言葉であったりした。

「カキさん、なんかやってくださいよ」

「カキさん、やっぱり面白いですね」

 とりわけ大谷はよく笑ってくれた。

※本記事の全文(約10000字)は、「文藝春秋」2025年5月号と、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(鈴木忠平「No time for doubt 第3回」)。
全文では、女房役として大谷を支えてきた大野奨太、およびプロ17年目のベテラン・田中賢太の試合中の思い、またふたりの野球選手としての軌跡についても詳細に描かれています。「文藝春秋PLUS」では、本連載を初回からお読みいただけます。

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