むなしさを味わうのは、人生を豊かにするために重要なことです。逆に味わわずに人生を終えるのは、自分が有るという「有り難さ」を噛みしめないことでもあります。
そこで、年を重ねた私が考える、むなしさをめぐるお話に少々お付き合いいただければと思います。
仕事や若さを失うむなしさ
むなしさは、大まかに分けると2種類あります。外的なむなしさと、内的なむなしさです。
外的なむなしさの代表例は、愛している人が去るとか亡くなることです。老境になると家族や友人の死が身近になりますし、子どもが成長して巣立っていったことに空虚感を覚える「空の巣症候群」というものもあります。
定年退職などで仕事を失うことも外的なむなしさですし、日本の景気が自分の若かりし頃のようには二度と戻らないと実感するのもこの範疇に含まれるかもしれません。自分という存在の外側に空虚なものができてしまうケースです。
物事を失う機会は、年を取るほど増えていきます。「ある」ばかりだったのが、若さを失うのとともに「ない」が増えていくのです。
内的なむなしさは、自分の内側に生じる空虚さで、多くの場合は外的なむなしさと連動して起こります。一体感が強かった身近な人が亡くなれば、相手の死は、生きている意味を見失うような自分自身の喪失にもつながります。
また、仕事一筋だった人が仕事を失うことで、アイデンティティを喪失するケースは少なくありません。私という存在が必要とされているという事実ほど、生きがいにしやすいものはないためです。
こう語る背景には、個人的な喪失体験があります。
私は医学生の頃、親友の加藤和彦らと結成したアマチュアバンドで活動していました。それがフォークルです。大学3年生になってバンドを解散しようということになり、解散記念に自主制作した300枚のアルバムが話題となって、突然メジャーデビューすることになったのです。
その300枚のアルバムに入っていた曲『帰って来たヨッパライ』がシングルカットされるや、約280万枚を売り上げ、オリコンチャート初のミリオンセラーとなりました。
当時の私はショービジネスのむなしさに圧倒されながらも、それが深刻化する一歩手前で学業の道に戻ったのでした。
一方で芸能界に残った加藤は、最終的にはむなしさに飲み込まれてしまったのかもしれません。「ロックンローラーが60歳を超えても生きているのは格好悪い」と語っていた彼は、62歳で自死しました。
(取材・構成=秋山千佳)
※このインタビュー全文(約7100字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(きたやまおさむ「むなしさにも付き合い方がある」)。
全文では下記の内容をお読みいただけます。
・仕事や若さを失うむなしさ
・醜さを露呈できない
・役立たなくなったら消えろ
・アルフィー坂崎幸之助のこと
・喪失を喪失した時代
・どこにもたどり着かない
・むなしさに「泥(なず)む」
