1961年作品(56分)/松竹/2800円(税別)/レンタルあり

 今回は『二階の他人』を取り上げる。山田洋次の監督デビュー作である。

 山田洋次といえば、『男はつらいよ』シリーズで知られており、近年でも『家族はつらいよ』シリーズを撮っていることから「喜劇の得意な監督」というイメージをお持ちの方も少なくないだろう。ただ、「山田喜劇」は、いざ「抱腹絶倒のコメディ」を期待して「笑おう」として臨むと肩透かしを食らう。渥美清という天才的な役者の力によりカバーしている『男はつらいよ』を除くと、陰気で重苦しく、コメディ映画に求められる軽妙さや洒脱さは全くないのだ。

 本作もまた、しかり。

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 DVDのコピーには「コミカルに描く 新婚夫婦のてんやわんや」と書いてあるが、その文言から想像できるような賑やかな楽しさを期待すると、それは見事に裏切られる。

 若い主人公夫婦(小坂一也、葵京子)は生活の足しにと家の二階を間貸しすることになる。だが、やってきた入居者はいずれもクセ者ばかりでトラブルが相次いでいった――そんな設定だけを読むと、「生真面目な主人公が奇天烈な店子たちに振り回される」という展開を容易に想像でき、そのためつい「さぞや楽しいコメディ映画だろう」と思ってしまう。が、実際は違った。

 主人公はいつも伏し目がちに鬱々とした感じでいるため躍動感がなく、「振り回される人間」としての面白味はない。また、二階の住人たちもキャラクター性が見えず、そのダメっぷりはただ不愉快なだけにしか映らない。だから、コメディとしては笑えない。

 が、本作が全く魅力のない作品かというと、これがそうではないのである。

 たとえば、田舎から出てきた主人公の母親の押し付け合いと、それを受けての「どこへ行っても年寄りは邪魔にされるもんだねえ」というセリフ。あるいは、二階に間借りする金持ち夫婦が実は横領犯だったと分かった時に見せる主人公たちの温もりと、彼らとの楽しげな宴の裏側に垣間見える、やるせなさ。そこには、人間の物悲しさや寂しさが滲み出ており、同時にそんな人間たちを包みこむ山田洋次の優しい目線も感じ取れる。

 これは本作に限ったことではない。たしかに山田洋次の喜劇映画は「コメディ」として捉えると暗くて重い。が、そこを取っ払って接してみると、その「陰」の部分から漂う哀愁が切なく胸に迫ってきて、涙を誘われてしまう。

「手を叩いて笑う」ような「コミカルさ」ではなく、「しんみりと泣ける」ような「ペーソス」。それこそが山田喜劇の魅力なのだ。デビュー段階で既にそれが萌芽していたと気づかされる作品である。