自伝の刊行、名画座での特集上映、コンサート、メディア出演――ここにきて梶芽衣子の活動が活発だ。
彼女のイメージといえば、「さそり」シリーズなどでの体制に抗(あらが)うヒロインたちであったり、松本清張作品での男たちを手玉にとる悪女役だったり、とにかくクールでシャープ。何者にも靡(なび)かない芯の強さが、いつも感じられる。
そしてもう一つの特徴は、そのファッショナブルさ、だ。日本映画における「闘うヒロイン」像といえば、時代劇の「くノ一(女忍者)」たちや任侠映画の女侠客たち、つまり和装が中心だった。梶も「修羅雪姫」シリーズのような和装もあるが、ほとんどが洋装で闘っている。これが日本では珍しいのと同時に、「現代」に抗うヒロインとしての姿をより浮き彫りにしてきた。
今回取り上げる『野良猫ロック セックス・ハンター』も、そんな一本である。
「野良猫ロック」シリーズが作られた一九七〇年前後は、カウンターカルチャーが盛り上がっていた時期で、映画も反体制的、前衛的な表現が目立つようになっていた。これに末期的なまでの斜陽にあった映画界の絶望的な状況が加わり、破れかぶれのエネルギーに満ちた作品が作られていく。このシリーズもそうした中で生まれ、中でも本作は強烈な一本となっている。
舞台となるのは、米軍基地がまだあった頃の、荒々しさと無国籍の雰囲気が残っていた東京・立川。物語はここを根城に不良少女グループを率いるマコ(梶)と、その恋人で「ハーフ狩り」を行うレイシスト集団のリーダー・バロン(藤竜也)を中心に展開、セックスと暴力に興じるしかない若者たちの無為で無軌道な青春が、虚無的なタッチの中で綴られていく。
まず目を引くのは梶の出で立ちである。黒いベストに白いシャツ、黒いロングパンツ、そして後に彼女の代名詞的なアイテムとなるツバの大きい黒ハット。自らが役作りのために選んだ衣装は西部劇から抜け出してきたようで、実にオシャレ。しかも、絶えずクールで挑発的な眼差しを浮かべ続けているため、何事にも動じない超然とした雰囲気が放たれ、颯爽としたカッコよさを全編通じて堪能できる。
同時に、その風貌とクールで射るような眼差しに対置されることで、自らのインポテンツへのコンプレックスを差別的暴力で晴らすしかないバロンの惨めさが際立つことになり、その苛立ちが哀しく浮き彫りになっていった。
「現代の男たち」に戦いを挑んでいく梶の姿は今日的ともいえ、改めてその存在が注目される理由がよく分かるような気がする。