ピーチライナーはなぜ16年で姿を消した?
この一帯、言うまでもなくニュータウンの“センター”だ。商業施設がいくつか並び、ニュータウンの中核としての役割を持つ。
その並びにあったサイゼリヤで昼食を食べたが、人通りの少なさと比べてかなりたくさんのお客で賑やかだ。学生さんが目立つが、小さな子ども連れでランチを食べに来ているママさんグループもいる。
このあたり、何の変哲もない、どこにでもあるお昼時のサイゼリヤ。勝手にこちらが廃線と結びつけているから特別視してしまうだけで、桃花台ニュータウンは何も特別なことのない町なのである。
ピーチライナーは桃花台センター駅から少しだけ地下を走り、桃花台中央公園の脇で地上に浮上。中央道の下を潜って終点の桃花台東駅を迎える。が、桃花台東駅はすっかり跡形もなくなっている。ここにも小牧駅と同じくループ線があったはず。それも消え失せて、いまはただの空き地に変わっていた。
中間の工業地帯や田園地帯はともかく、スタート地点は15万都市・小牧の中心地、ゴールには丘陵地に広がる立派なニュータウン。そんなピーチライナーは、なぜ16年で地図から消えねばならなかったのだろうか。
その答えはシンプル、お客が少なかったからだ。
1970年代にはじまった桃花台ニュータウンの当初の構想では、暮らす人のほとんどが名古屋市内に通勤・通学すると見込んでいたという。
ニュータウンには5万人が暮らし、そのうち2万人が名古屋へ。そうなると、とてもじゃないけれどバスでは賄えない。そこで何かしら公共交通を整備せねばとなったのが、ピーチライナー建設のきっかけになった。
ピーチライナーを運営していた桃花台新交通が発足したのは1979年のこと。愛知県や小牧市、名鉄が出資した第三セクターだ。新交通システムを採用したのは、80年代が新交通システムブームだったからだろう。かくして1991年に満を持して開業したのだが、いきなりお客が伸び悩む。

