――報復を行ったわけですね。実際、刃傷沙汰には発展したのでしょうか?

「相手の組長の顔を切りつけました。ご存知かどうか知りませんが、刃物で顔を切ると血が止まらないんですよ」

――それは大問題になってしまいそうですが……。

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「なりましたよ、相手側の組長を切りつけたのですから。その当時、劉を探せとの大号令が横浜でかけられ、私も横浜にいることはできなくなったので、長崎にいる従兄弟の家に匿ってもらったんです」

――なるほど。その後、どうやって横浜に戻ることができたのですか?

「パリジェンヌ事件で命を落としたある人間が、相手と話をつけてくれたんですよ。私の起こした騒動は、あの事件の少し前に起きたものでしたから」

――なるほど、その方が相手と交渉をしてくれたわけですね。その際には、やはり金銭のやり取りがあったのでしょうか?

「いくら払ったのかは伝えてくれなかったので分かりませんが、恐らく金で解決したのでしょう。それ以来、私は騒動を起こした相手とも普通に付き合える関係になりました」

写真はイメージ ©Wakko/イメージマート

 場合によっては、パリジェンヌ事件よりも先に、裏社会と中国系マフィアの大規模な抗争が勃発するかも知れなかった――。筆者は、決してゼロではなかったその可能性を想像し、思わず身震いしてしまったが、奇しくもパリジェンヌ事件の関係者として命を落とした人物の手によって、事件は無事解決に至った、というわけである。劉氏はこのような経緯から、パリジェンヌ事件に特別な思いを抱いているという。

外国人犯罪組織がと日本の裏社会との関わり

 本稿に記載した事件は、あくまでも劉氏が語った内容に基づくものであり、その真偽は確認しきれない部分もある。ただ、彼の話を通じて浮かび上がるのは、日本の社会の中で外国人犯罪組織が互いに手を取り合い、日本の裏社会と関わりながら勢力を伸ばしていったという一つの歴史だ。こうした過去は、パリジェンヌ事件や、劉氏の語った事件のような抗争を代表とする負の側面だけでなく、それを生き延び、今では新たな形で社会に関わろうとする人物たちの姿をも浮き彫りにする。

 現在劉氏は横浜の中華街の組合の要職にもついているが、彼こそが在日外国人として多くの転機や危機を乗り越えた先で、今もなお日本という国の社会へと関わり続けることを選んだ一人だと言えるのではないだろうか。もちろん、裏社会の一員である劉氏の生き様が、多くの人の模範になるものとは言い難い部分もあるだろう。しかし、苛烈な裏社会の中で生き抜いた劉氏の人生は、そこから垣間見える日本社会が抱える複雑な多文化共生の課題とも密接に結びついている。そのように筆者は考えているのだ。

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