一方で、この事件を受けて厳しい取り締まりを行った警察の手により、上海系と北京系のマフィアは歌舞伎町内の勢力を減退。福建系へと取って代わられることとなったが、彼らは密入国、密出国を繰り返す奔放さと、裏切りを行う性質を持ち合わせていたため、日本の裏社会との折り合いが悪く、やはり衰退した。そののちに台頭することとなったのが、パリジェンヌ事件に関係することとなる東北系マフィア、東北幇(トンペイパン)である。
彼らは旧満洲である遼寧省、黒竜江省、吉林省などをルーツに持ち、中国残留孤児二世・三世が主なメンバーであり、日本語や日本の習慣への理解が深いことから、日本の裏社会のビジネスパートナーとして成長。歌舞伎町で勢力を拡大することとなった。
パリジェンヌ事件は、そんな東北幇と日本の裏社会が衝突することとなった事件として知られている。2002年9月に、歌舞伎町の大型喫茶店「パリジェンヌ」で住吉会系の暴力団員が東北幇の関係者に射殺されたというのがその内容だ。
警視庁が組織犯罪対策部、いわゆる組対を設置するきっかけともなったと言われている同事件は、同月に行われた住吉会系の下部組織と、東北幇のメンバーで行われたカラオケスナックでの親睦会での諍いに端を発する。この親睦会の中で、カラオケに曲を入れる順番を巡って口論となった両者は、最終的に双方に怪我人を出す大乱闘に発展。
この手打ちとして両社は「パリジェンヌ」で会合を行ったが、こちらでも口論から発展し、東北幇のメンバーが住吉会系の組員を射殺するに至った。構成員を殺された日本の裏社会は、住吉会だけでなく多くの組織が結託して、ビジネスパートナーであった東北幇を排斥するため、組織そのものだけでなく、中国系の様々な店舗や客引きも対象とした「中国人狩り」とも言える大規模な報復を実行。同年内は緊迫した状況が続いたが、最終的に両者は2003年1月に東京郊外の飲食店で大々的な手打ち式を行い、事態は終結することとなった。
「報道はされていないだけで、あの時代には中華街でも同じような事件が起こっています」
これらの事件は、中国系のマフィアが歌舞伎町で起こした凶悪事件として知られる代表的なものではあるが、横浜中華街とあまり関わりがあるようには思えない。そのため、筆者は劉氏がこれらの事件の名前を出した意図を測りかねていた。もしかして、当事者の一人なのだろうか? そう考えた筆者は、再び劉氏へ質問を投げかけた。
――劉さんはこれらの事件と何かしら関係があったのですか?
「直接的な関係はありません、ただ、報道はされていないだけで、あの時代には中華街でも同じような事件が起こっています。地元の裏社会との軋轢です」
――その当時劉さんはお店をやられていたのですか?
「パリジェンヌ事件の時期は、ちょうど資金を集めて店をオープンしようとしていたところでした。しかし、私に融資してくれると言っていた裏社会の人間が、突然私に協力できないと言ってきたんです。怒った私は、数人とともに刃物を持ち、相手の事務所に乗り込みました」