「フェミニズム」という言葉が当たり前のように使われるようになった昨今。1990年代に、フェミニストとして『笑っていいとも!』や『ビートたけしのTVタックル』に出演した田嶋陽子さん(84)が受けた逆風は、現在とは比べものにならないほど酷いものでした。

 テレビの世界から距離を置き、60代で歌手デビュー、80代からダンスを習い始めた田嶋さん。「何歳からでも人生は輝く」という田嶋さんの人生論を、著書『わたしリセット』から一部抜粋して紹介します。(全3回の2回目/最初から読む

田嶋陽子さん ©文藝春秋

◆◆◆

ADVERTISEMENT

何歳になっても学ぶことで成長する

 シャンソンと書アートに加え、80歳をすぎてからはダンスを再開しました。ダンスは今から20年ほど前に、ウッチャンナンチャンの『ウリナリ芸能人社交ダンス部』という番組に引っ張り出されて以来でした。

 あの番組ではプロの先生が創作したモダンダンスを踊りましたが、私はダンスのことなんて全然知らなくて、ステップひとつろくに踏めません。しかもレッスン期間が10日あまりしかない。先生はこっちに基礎能力がないと分かっていますから、背中をそっくり返すような派手な見せ所だけを教えてくれました。

 あのとき、自分の姿を鏡で見たらお腹が出ちゃってて、がんばって5キロ痩せましたが、あとからお医者さんに「急に痩せると糖尿病になるからダメだ」って怒られてしまいましたね。

 ダンスの競技では最初ビリでしたけど、共演者の勝俣州和さんが「先生を女にしてやる」と言って一緒にペアを組みました。ペアでは予選を無事に通過し、武道館で踊れてうれしかったですね。

 その後、軽井沢のリサイタルで何度かワルツやタンゴを踊りましたが、ダンスはそれっきりになっていました。そしたら、引っ越した軽井沢の家の目の前にダンスの先生がいて、誘われてまたはじめることになりました。

 参加している人は同年代の女の人ばかりで、私が「わが・ままの会」と名づけました。毎週1時間のレッスンがあるけれど、いつ休んでもいい。だから「わが・ままの会」です。

 とはいえ、目標がないとなかなか上達しませんから、最近はコンサートでも踊ることにしています。先日の三越劇場のコンサートでも、歌手の野田孝幸さんとワルツを1曲披露しました。今年(2024年)はタンゴです。

 人には可能性がいくらでもあります。たしかに年をとると体力が衰えてきたり、ものの名前が思い出せなくなったりと、足し算だった人生が引き算になってきました。

 でもその一方で、新しく勉強したり、教わったりしたことはちゃんと身についています。何歳になっても学ぶことで少しずつ成長する自分がいるのです。学ぶことで明日が少しでも豊かになればいいのです。