「日本でいちばん有名なフェミニスト」として、長年テレビ番組などのメディアで活躍してきた田嶋陽子さん(83)。近年、SNSを中心にフェミニズムへの関心が高まるにつれ、その功績を再評価する動きも出てきています。

 ここでは、そんな田嶋さんが9月20日に上梓した『わたしリセット』より一部を抜粋して紹介。90年代、『ビートたけしのTVタックル』で男性出演者と激しい議論を交わしていたことで、仲間であるはずのフェミニストからも嫌われても、田嶋さんがテレビに出続けた理由とは――。(全4回の3回目/最初から読む

田嶋陽子さん Ⓒ文藝春秋

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スカートをはいたら「ひざ頭をキチンとつけなさい」

 私がはじめてテレビに出たのは、NHK教育テレビの『英語会話Ⅱ』です。イギリス留学から戻ってきたときに紹介され、1985年から3年間、講師を務めました。

 衣装は自分で全部用意していましたが、3年もやっていると着るものがなくなります。だから、昔まだ「女らしくしなきゃ」と頑張っていたときにはいていたスカートを引っ張りだしてきた。そしたら、視聴者からものすごく達筆の手紙が届きました。そこには「女性なんだから、ひざ頭をキチンとつけなさい。足を開いているのを見ると、同じ女性として恥ずかしい」と書かれていました。やむなく、スカートをはいて出演するときは、スカートのなかで太ももを革のベルトで縛りつけるようになりました。

 でも、トーク番組や討論番組では、精神が集中できないのが嫌なので、スカートをはきませんでした。人間はここ一番と踏ん張ると、男であろうと女であろうと、ひざ頭は開いてしまうからです。「女らしさ」の強制は、健康で自然な状態を抑圧する。だから、女は精神的にも肉体的にも二重に不利になるのです。

『英語会話Ⅱ』で私のファンになってくれた人もいましたが、私がバラエティ番組に出はじめると、その人たちも離れていきました。そのころは、男の人はほとんど全員が私のことが大嫌いでしたけど、女の人も半分くらいは私を嫌いだったと思います。当時は、ほとんどの女の人がフェミニストになりたくなかった。男社会に嫌われたら、女の人は生きていけないから。心のなかに不満を抱えていても、構造としての女性差別があるなんて思えないし、思いたくもない。だから、私が言いたい放題言うと、不安になったのでしょう。

 男たちはそこに目をつけて、女同士を戦わせようとしてきました。『TVタックル』でも「女の敵は女」という企画で、男たちが見ている前で女たちを討論させようとしたことがあります。でも、私はそれに乗りませんでした。あれでは闘犬と同じですから、すごく卑怯だと思います。