たったひとりのフェミニズム運動
私がバカにされたり笑われたりしたのは、一つには「権利を主張する女なんて、ブスで結婚もできない女」という世間のイメージにぴったりだったからかもしれません。でも、私はそんなことではビクともしません。「そのうち、あんたたちが泣きべそかくよ」と思っていました。今まさにそうなっているでしょう。
テレビでバカにされながらも頑張れたのは、私が大学教授という立場だったからです。社会的にいえば、下手な男より地位が上だと思われていたから、少しは耳を傾けてもらえることもあった。みんなは大学教授の女をいじめるのが、うれしくてしょうがなかったでしょうが。もし、私に肩書きがなく、普通のサラリーウーマンだったら、すぐにつぶされていたと思います。少なくともこんなに長く続いていません。
私に捨てるものが何もなかったことも大きかったですね。テレビに出たときはもう50歳を目の前にして、カメの甲羅みたいなものが身についていましたから、叩かれても叩かれても大丈夫でした。もしあれが30代だったら、耐えられなかったと思います。
でも、残念だったのは、仲間であるはずの女性たちからサポートしてもらえなかったことです。とくにフェミニストたちは、本当に私のことを嫌いましたね。あのころのフェミニストは左翼系の人が多くて、反近代主義が盛んでしたから、テレビを超軽蔑していました。私がテレビに出るようになると、「フェミニズムを笑いものにした」とか「フェミニズムが誤解される」といった批判が聞こえてきました。私がお笑い番組に出てバカにされる姿は、見ていて耐えられなかったみたいです。
面と向かって「フェミニズムのことをもっとちゃんと言わなきゃダメじゃない」と言われたこともあります。でも、「あなたを紹介するから、代わりに出てよ」と言ったら、「私はダメよ」だって。その後、実際にテレビに出たフェミニストもいましたが、周りの出演者からワッと言われると何も反論できませんでした。NHKならいいけど、お笑い番組に対応できる人はいなかったですよ。
私は自分が正しいと信じていましたし、批判してくるフェミニストたちには「じゃあ、あんたたち、私のように体を張ってみなさいよ」と思っていました。今から考えれば、たったひとりのフェミニズム運動だったと思います。
私はみんなで集まって旗をもってやるような運動はペースが合わなかったから、私がひとりでできるフェミニズムの運動はこんなところかなとも思いました。テレビに出ることが、私にとってのたったひとりのデモ活動だったんですよ。結果的に、私の周囲からはフェミニストがいなくなりましたが、その代わり、街なかや手紙で一般の女の人たちが励ましてくれるようになりました。