「日本でいちばん有名なフェミニスト」として、長年テレビ番組などのメディアで活躍してきた田嶋陽子さん(83)。近年、SNSを中心にフェミニズムへの関心が高まるにつれ、その功績を再評価する動きも出てきています。

 ここでは、そんな田嶋さんが9月20日に上梓した『わたしリセット』より一部を抜粋。どんな番組か知らずに引き受けたという『笑っていいとも!』初出演後に感じた、世間の思わぬ反応とは――。(全4回の1回目/続きを読む

田嶋陽子さん ©文藝春秋

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初めて『笑っていいとも!』に出た日

 私は初めてテレビのバラエティ番組に出たときから、ずっと女性差別の問題を訴えてきました。たくさんケンカして、批判もされましたが、私の信念はいっさい揺らいでいません。私がテレビに出るのが早すぎたと言う人もいますが、誰かがちゃんと伝えなきゃいけなかったと思います。

 私が『笑っていいとも!』に出演したのは1990年です。そのころ、一般男性を対象にした「花婿学校」(運営・板本洋子さん)が日本青年館で開かれ、マスコミで話題になっていました。校長は女性学が専門の樋口恵子さん、副校長がジャーナリストの斎藤茂男さん。なぜ男が結婚できないのか、なぜ結婚しない女が増えているのか、いろいろな講師が多様な角度から講義する新しい試みで、私も講師に呼ばれて「これから結婚したければ、男たちが考え方を変えなきゃいけない」という話をしていました。

 その時の私の講義が『東京新聞』で5回にわたって連載されました。それに目をつけた『笑っていいとも!』のスタッフが斎藤さんのところに話をもっていって、私に声がかかったのだそうです。

 その年、私はちょうどサバティカルという長期休暇を大学からもらって、軽井沢の家で本を書いていました。2023年に復刊された『フィルムの中の女─ヒロインはなぜ殺されるのか』という本で、映画のなかで自立したヒロインはなぜみんな死んでしまうのかをフェミニズムの視点から論じたものです。そしたら、7月の半ばに突然、フジテレビから電話がかかってきました。

 私はNHK教育テレビで『英語会話Ⅱ』の講師をしたことはあるものの、普段はテレビをほとんど見ていませんでした。だから、タモリさんがどんな人かも、『笑っていいとも!』がどんな番組かも知らなかった。そこで、知り合いの家でテレビを見せてもらったら、ちょうど「テレフォンショッキング」のコーナーに年配の政治家が出演していたので、私もあそこで「花婿学校」のことを話すのかなと思い、ごく軽い気持ちで引き受けたのです。