「日本でいちばん有名なフェミニスト」として、長年テレビ番組などのメディアで活躍してきた田嶋陽子さん(83)。近年、SNSを中心にフェミニズムへの関心が高まるにつれ、その功績を再評価する動きも出てきています。

 ここでは、そんな田嶋さんが9月20日に上梓した『わたしリセット』より、シニアハウスと軽井沢の自宅との二拠点生活について書いた部分を抜粋して紹介します。80代で見つけた“死に場所”、その住み心地とは――。(全4回の4回目/最初から読む

田嶋陽子さん Ⓒ文藝春秋

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「死に場所」を見つけた

 2023年4月に都内のシニアハウスに入りました。自分の死に場所が見つかって、今はホッとしています。

 2002年に法政大学で同僚だった駒尺喜美さんたちと一緒に「友だち村」というシニアハウスを中伊豆につくりました。コンセプトは生涯現役で、個を大切にしながら仲間と助け合える場所。ところが私は60代だったのと、仕事が忙しくて中伊豆に通いきれなくなったのとで、入居してすぐ退去せざるをえませんでした。友だち村は今もちゃんと存続していて、みなさん楽しく暮らしています。

 私たちの若いころ、いわゆる老人ホームのイメージは、姥捨て山みたいなものでした。自分が入るなんて夢にも思っていなかった。でも、今はみんなが老人ホームを良いものにしようと必死になっていて、設備や環境がどんどん良くなっていますよね。老いた親たちは事あるごとに「子どもたちに迷惑かけたくない」と言っているんでしょう。だったら、さっさと老人ホームに入ってしまえばいいのです。

 私は45歳のときに軽井沢にセカンドハウスを建ててから、都心と軽井沢の二拠点生活を続けてきました。軽井沢は、疎開先の母の実家があった新潟や留学先のイギリスに似た雰囲気があって、とても気に入っています。田んぼのあぜ道に立って景色を眺めると、おにぎり山が2つ並んでいるのが見えます。日によっては雲がかかっていたり、霧でまったく見えなくなったり、自然はものすごくドラマティック。毎日見ていても飽きません。

 テレビのバラエティ番組に呼ばれて忙しくなってからも、週末には必ず軽井沢に帰り、ボロボロになった心を癒していました。軽井沢の美しい森や野生動物に慰められたおかげで、あの苦しかった時代を生き延びられたと思います。