背中を押してくれたのは駒尺喜美さんの言葉だった
それでも、もうテレビに出たくないと思ったことは何度もあります。そんなときに私の背中を押してくれたのが、法政大学の同僚で、ライフアーティストを名乗るフェミニストの駒尺喜美さんです。
駒尺さんは愚痴る私に「テレビは拡声器だよ」と言ってくれました。「せっかくのチャンスだからやめちゃいけない。学者が本を書いて出版しても1000部2000部しか売れないけど、テレビはもっとたくさんの人に届くよ」って。『TVタックル』は視聴率が20%を超えたこともあります。視聴率1%で100万人が見ていると言われていますから、単純計算で2000万人が見ていたことになる。
一方で、『タックル』の前に出ていたNHK教育テレビの『英語会話Ⅱ』の場合は、テキストの売れ具合からみても、5万人くらいしか見ていません。視聴者の数がぜんぜんちがいます。NHK教育テレビで女性の問題を扱ったこともありますが、NHKで真面目にフェミニズムを語っても、見る人は多くはありませんでした。昔は出演者が用意された原稿を読むだけでしたから、話している言葉も自分の言葉になっていませんでした。それでは誰だって退屈します。
こうして私は、フェミニズムの考え方は笑い飛ばしながらでもなんとか世間に伝えるしかないという結論にいたりました。何百年も続いてきた女性差別は、人々の文化や習慣や思想など、あらゆるところに霧雨のように染み込んでいます。ちょっとやそっとの理屈を並べたところで、誰も聞いてくれません。だから、たとえバカにされて笑われても、繰り返し話を聞いてもらうことが大切だと思いました。
テレビに出続けることに対する使命感みたいなものがありましたね。私は自分で育てた私なりのフェミニズムの考え方を伝えていくんだという意識が強かった。ケンカの相手はいつもおじさんでしたが、私はブラウン管の向こう側を意識していました。向こう側にいる女性たちに、もっと自由な生き方があることを伝えたかったのです。だから、おじさんたちに何を言われても怖くなかった。実際、私の話を聞いて、夫に食ってかかる女性が増えたらしく、男の人に恨まれましたね。
最初のころは、毎回あれも言おう、これも言おうと思って出るものの、共演者に邪魔されて思いどおりの発言が出来なくて悔しかった。でも、駒尺さんから「一度に全部言おうとするから辛い。大事なことを1回にひとつ。その代わり100回出たらいい」と言われました。
今から考えると、テレビはオファーがなければ出られないのだから、傲慢なのかもしれません。でも、結果的には何百回も出て、自分の考えを言い続けましたね。『TVタックル』には、12、3年出させていただいたでしょうか。