「職員の言いなりになって良い子を演じよう」とする人権意識の鈍化

 のちに私は、この脅迫行為のさなかに置かれていたときの心情を、鳥内さん本人に尋ねている。

「バリカンを出されたとき、どんな気持ちだった?」

「これで、頭の毛を刈られるんだな……と」

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「腹立たなかった?」

「腹立つというより、ただ、ああ、こういうので髪の毛切られるんだな……って」

「押さえつけられて強引に髪の毛を切られたらどうしていた?」

「う~ん……」

「抵抗していたかい?」

「抵抗していたと思いますけど、それより、これで髪の毛刈られるのかなって思って……」

 この会話を交わした頃、鳥内さんはT作業所の強権支配下に甘んじていたところがあった。

 すなわちそれは、「職員の言いなりになって良い子を演じよう」とする人権意識の鈍化に他ならない。前記の鳥内さんの埓のあかない曖昧な返答ぶりは、そんな意識が映し出されたものだったのだろう。

何もかも禁止されて、イライラすることが多くなった

 しかし、かつてはどこかに反骨的な精神も宿していたという。威圧的に振る舞う男性職員に「じゃ、かかってこいよ!」と対峙し、あわや殴り合いの喧嘩に発展しかけたこともあったと聞いた。そして、「バリカン脅迫事件」が勃発したこの日も、彼のなかには人権意識の残り香のようなものが、多少なりとも燻っていたのかもしれない。

 午後になって、私にこう訴えてきた。

「料理酒を飲んでしまったのは、禁煙にされて苦しかったからです。タバコを吸えたときは、アルコールも我慢できたんです。ですから、ただアルコールが好きというだけで、アルコール依存症ではないと、自分では思っています。

 けど、タバコはダメ、買い物もダメ、おやつもダメ。何もかも禁止されて、イライラすることが多くなったんです。おまけに、あんなふうにいつも上から目線で注意される。『なに、また悪いことした?』などと高飛車に言われるたびに、苦痛でしかたがなかったんですよ。腹が立つこともあります。殴ってやりたくなったことも、正直これまで何度かありました。でも、そんなことしたら大変ですよね。その辺は何とか自分を抑えてますが」

 追い打ちをかけるように、その鳥内さんにさらなる「災禍」が襲いかかろうとしていた。