精神科病院、知的障害者支援施設で行われてきた世にも信じがたい暴行事件。日本ではどのような惨状が起きてきたのか。そして、こうした日本の障害者施策の暗部を国際社会はどう見てきたのか。

 ノンフィクション作家の織田淳太郎氏による『知的障害者施設 潜入記』(光文社新書)の一部を抜粋し、紹介する。(全4回の4回目/はじめから読む

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精神科病院をめぐる陰惨な事件

 その腐敗の象徴となったのが、多くの死傷者を出した「宇都宮病院事件」や「大和川病院事件」などである。なかでも1984年(昭和59年)3月に発覚した宇都宮病院事件は、驚愕の一語に尽きた。

 同病院の職員は入院者に絶対的な権力を振るい、少しでも反抗する者に対しては、木刀や椅子で殴りつけるなど、容赦のないリンチを加えた。

 1983年(昭和58年)4月、食事の内容に不満を漏らした長期入院者を、複数の看護人が約20分にわたって鉄パイプで乱打した。4時間後、入院者は死亡した。それから8ヶ月後の同年12月には、面会人に処遇のひどさを訴えた入院者が、看護人から殴る蹴るの暴行を受け、これも死亡した。これらの死亡・傷害事件は、同院によって隠蔽され続けた。

 事件発覚までの3年余で、院内死した入院者は、実に200人以上に及んだ。すべてがリンチ死ではなかったにせよ、この異常なまでの死亡者数は、同病院が衛生面その他の諸待遇において、いかに劣悪な環境にあったかを如実に物語る。

 死亡した患者に対しては、看護長やケースワーカーらによる無資格死体解剖も日常的に行なわれていた。

©AFLO

「先輩も(虐待を)やってるし、いいかと安易に思った」

 この宇都宮病院事件の発覚後、精神科病院における暴力行為は減少していったと言われる。しかし、虐待が根絶されたわけではなく、「内なる差別」はその後も形を変えて新たな虐待を生み出した。

 障害者虐待防止法の施行から8年後の2020年3月、神戸市の単科の精神科病院「神出病院」で3人の入院者に対する虐待事件が発覚した。加害者は6人の看護師などで、男性患者同士で性器をくわえさせたり、体に塗ったジャムを舐なめさせたりのわいせつ行為の強要をくり返した。また、落下防止柵ベッドを逆さまに患者にかぶせ、放置するなどの監禁行為にも走っている。

 こうした虐待は映像としてスマホに残され、看護師同士で共有されていた。「患者のリアクションが面白くてやった」。これが犯行の動機だったが、加害者の一人がいみじくも「先輩も(虐待を)やってるし、いいかと安易に思った」と証言しているように、ここでも精神障害者に対する「内なる差別」が、体質的に受け継がれていたことがわかる。