忙しすぎて「その頃の記憶が本当にないんです(苦笑)」

――そこからグラビア活動も始まりますが、水着になることに抵抗は?

時東 よく聞かれるんですけど、当時は高校の仲間と学校終わりで江ノ島に遊びに行ったり、プールに行っていたから水着になることが日常だったので。だから抵抗は全くなかったです。ただポーズをとるのはとても難しかったですね。

――時東さんはミスマガに選ばれてすぐに忙しくなった印象です。

ADVERTISEMENT

時東 当時はミスマガに受かった時点でレギュラーの仕事が何本も決まってましたし、1年間はミスマガジンとして動くので、グラビアがバーッと入ってくる。1年がすぎるとミスマガの縛りがなくなるので、ほかの雑誌からグラビアのオファーがいっぱいきました。

©志水隆/文藝春秋

 私はグラビア以外にも歌をやって、芝居をやっていたので、1週間の芝居を終えた後に、打ち上げに出られないままライブが入るという毎日を過ごしていました。だから、その頃の記憶が本当にないんです(苦笑)。何やってたんだろう。仕事をこなせてたのかなって、今思えば怖いです。

――メガネをかけたアイドルは当時は新しかったので、バラエティー番組などでも引っ張りだこでした。ただ、時東さんご自身は視力がよいですし、メガネキャラが一人歩きしていくことに違和感はありませんでしたか。

時東 いや、本当にそうです。「時東ぁみ」がどんどん先に行っちゃって、私自身が追いつけなくて。忙しくなった頃は、まだ高校に在学していたので、学校まで車でお迎えされて、制服のままで現場に行ってました。その後にいっぱい仕事をこなして、タクシーで帰らされる。電車に乗れば中吊りやみんなの読んでいる雑誌に私がいて。「いや、これ何?」ってなってました。

次の記事に続く 「婚姻届を持ってくるファンがいた」「指輪が送られてくることも…」元祖“メガネっ子アイドル”時東ぁみ(37)が明かす、ブレイク時代の苦労

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。