「嫌だ」って言いながらステージに立っていました──。

 2000年代に“メガネっ子アイドル”としてテレビ、グラビア、歌手と多方面で活躍したタレントの時東ぁみさん。笑顔での活躍の裏では、想像を絶する多忙、さらに話す言葉も管理され、ステージ裏で自由を求め、泣き叫んでいた日々があった。

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時東ぁみさん ©志水隆/文藝春秋

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「デビューから5年はいつ辞めようかってずっと思ってました。」

――メガネキャラでブレイクした時東さんですが、プライベートではメガネは外していたんですか。

時東ぁみさん(以下、時東) 高校生活では外していました。今よりもファンの方が熱狂的な方が多かったというか「高校に行っていい?」という人もいっぱいいたので。

 私は都内の学校だったので、みんな見に来れちゃうんですよ。逆にメガネを外すことが、カモフラージュになったんです。

 でも仕事では常に外せないので、電車内で追いかけられるとかは全然ありました。あとは事務所に婚姻届を持ってくるファンがいたり、指輪が送られてくるのも普通にありました。

 でも一番しんどかったのは忙しさです。デビューから5年はいつ辞めようかってずっと思ってました。

 例えばグループアイドルだったら1人が体調不良でも、その他の子がカバーできるじゃないですか。でも私はそれができないから、体調不良だったら病院に行って、点滴をしてから現場に行く。点滴はもうしょっちゅうでした。もう本当に控え室でギリギリまで泣いて「嫌だ、嫌だ」って言いながらステージに立ってました。

©志水隆/文藝春秋

――時東さんを何が一番追い詰めたんでしょうか。

時東 自分じゃない気がしたんです。「時東ぁみ」というキャラクターというか。メガネもそうですけど、衣装、髪型、しゃべること、歌うリスト、全部作られている状態でステージに出ていたので。私は本当はこう言いたいけど、その言葉はNGだとか。細かいことだと「サングラス」はいいけれど「グラサン」はダメだとか。