――時東さんは歌手としてもこれまで9作のシングルを出しています。そもそも歌手になりたいとかはあったんですか?
時東 もう全然なかったです(笑)。でも、ミスマガでつんく♂さんに賞に選んでもらったから、流れの中で歌手になった感じです。
辛い時期に救われたつんく♂の気遣い
――時東さんってつんく♂さんプロデュースでアイドルとして活動していましたが、モーニング娘。や℃-uteみたいな、いわゆるハロプロのアイドルではないという不思議な立ち位置ですよね。
時東 つんく♂さんが社長を務めるレコード会社「TNX」で女性初のアーティストであり、つんくさんの直下が私だったんです。当時はつんく♂さん個人はTNX、「シャ乱Q」はアップフロントエージェンシー、ハロプロもアップフロントでした。それもあって、私のことはつんく♂さんがより自由にできたんですよね。
――つんく♂さんとの関係は?
時東 めっちゃよくしてもらいました。ある時、私のスケジュールを見て、明らかにご飯を食べられてないじゃんと知って「お昼は絶対俺の事務所に連れてこい」って。呼び出されて、最初は怖いんですよ。「え、何。怒られんの」みたいな。
でも事務所へ行くと「一緒にご飯を食べよう」って。いつもファストフードとか、デリバリーばっかりを食べさせているんだろうからと、お付きの人が全部作ってくれた料理を一緒に食べました。そうやってつんく♂さんってすごく見てくれているので、もしつんく♂さんがいなかったら、あの時代はもっとしんどかったと思います。
――いや、つんく♂さん、さすがですね。
時東 もう私が明らかにしんどそうだな、辛そうだなっていうところを見抜いてくれるんです。
実はもともとボランティアが好きで、体育大学に入って、お年寄りや体の不自由な方にスポーツを教えるのが夢だったんです。ただ高校でミスマガに受かった時に、事務所に「体力的に持たないから、体育大学は申し訳ないけど諦めてくれ」って言われて。言われた時はめちゃくちゃショックでした。でも実際に仕事が忙しすぎて体育大学は無理でした。そこの大人の意見は正しかったなって正直思います。
つんく♂さんは私の体育大学へ行きたいけど行けなかった、人助けをしたいという夢があったことをどこかで聞いて「人を助けるのが好きだったら、防災士という資格があるぞ」と教えてくれました。私のストレスとかを見抜いていたんだと思います。
