――時東さんは2007年に防災士の資格を取得し、現在も防災関連のお仕事をされていますね。ほかにも手話技能検定、ジグゾーパズル検定など多くの資格を当時取っていますが、アイドルとして多忙の中、どうやっていたんですか。
時東 資格の勉強も事務所が全部仕事につなげるんです。資格を勉強している姿をファンクラブの会報に掲載したり。他の資格も番組で取るぞっていう流れのものが多かったですね。今の事務所のサンミュージックに入ってからの資格は全部プライベートです。
――当時は、ソロ活動以外にギャル曽根さんらとのユニット「ギャルル」も印象的でした。
時東 ありました。でも、あの活動は一瞬だったので。1年ぐらいだったかな。CDも「Boom Boom めっちゃマッチョ!」1枚しか出してないんです。ただ、めちゃくちゃ売れたので。当時、文化祭に出演すると、子供たちも含めて全員ギャルルのふりをやっていました。その記憶が鮮明だから、いまだに「ラヴィット!」でもやれたと思うんですけど。
あと私はギャルのメイクに2時間かかってたんですよ。もともと髪の毛がこの聖子ちゃんカットだったので、そこに髪の毛を3段つけるところから始まって。なので、その2時間で睡眠をとってました(笑)。
仕事への意識を変えた“社長からの問い”
――しかし、お話を聞いているとアイドル時代は過酷の一言ですね。
時東 毎日、自分がいま何をしているかわかんないくらいでした。でも20歳の時に、当時の事務所の社長に「お前をこの3年間見てきて、与えられた仕事をこなせることは十分わかった。だけど、それ以上に返そうと思ったことあるか?」って言われて、はっとして。
それまでは与えられたものをこなせば「怒られないでしょ」という感覚だったんです。でも、社長にそう言われた時に「これって仕事じゃん。うわ、私、めっちゃ社会人だった」と感覚が変わって。
それまでは何か仕事が終わったら「やっと終わった。もう早く帰ろう」という感じだったんですけど、そこからは何か仕事があったら「今のってわかりやすかったかな?」と身近な人に確認をしてみたり、視聴者であったり見ている先の人を意識するようになりました。
最初の事務所には丸5年いたんですが、より自分のことを自分で決めたいと考えて移籍したのが、今の事務所のサンミュージックです。今は時東ぁみとしてイベントの企画や、防災イベントも全部自分でプロデュース、企画してますし、あとはやりたかったライブのセットリストも当たり前のように自分で組んでます。
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