山一證券から転職したあとは「酒を飲むこと」ばかりを考えていた永野修身さん。ところが、そんな彼に転機が訪れる。一度は燃え尽きた彼の心に、また火をともした「ある相談」とは――。山一證券No.1営業マン”だった男のその後の人生を、読売新聞の人物企画「あれから」をまとめた新刊『「まさか」の人生』(読売新聞社「あれから」取材班著、新潮新書)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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元同僚たちからの相談
そんな頃、山一時代の元同僚たちから相談が寄せられ始める。「転職した会社で酷使され、寝る時間もない」「入社前に聞いた年収と全然違う」──。7500人もの社員が職を失った混乱の中では、善意の再就職支援もあった一方で、不本意な転職となった仲間もいた。山一で組合活動をしていた永野さんを頼ってくる人は多かった。
「人の山一」が自慢だったのに、その「人」が力を発揮できないなんて。
「それなら、自分がプロになって助けよう」
2000年12月、永野さんは、山一時代の先輩が役員を務める人材派遣会社に転職。仕事のノウハウを覚え、2003年に金融業界などに人材を紹介・派遣する会社「マーキュリースタッフィング」を設立した。
「マーキュリー」の名は、ロックバンド「クイーン」のボーカル、フレディ・マーキュリーからつけた。駆け出しの頃、クイーンの曲を聴いて闘志を燃やし、営業先に向かった永野さんとしては、かつての仲間を応援する会社にしたかった。
同社から地元・栃木の銀行を紹介してもらった石山智志さんは、永野さんが新宿新都心支店で法人第1課長を務めていた頃の新人だ。自主廃業後、コンサルタント会社を起こしたが、2008年のリーマン・ショックで仕事が激減。「困ったことがあったら言ってこいよ」という永野さんの言葉を思い出し、連絡したという。「おかげで路頭に迷うことなく、人生を見つめ直すことができました」

