「『セミヌードでいいから撮らせてくれ』って…」という写真が流出

 それは「ヌード写真の流出掲載」というセンセーショナルなものだった。ある日ひし美が書店に行くと、「週刊プレイボーイ」(集英社)に自分のヌード写真が掲載されていて驚いたというのだ。しかも盗撮ではなく、知り合いのカメラマンに頼まれて撮った写真の無断流出だった。

「東宝に取材に来たフリーのカメラマンが、『セミヌードでいいから撮らせてくれ』って言っていたんですけど、東宝はそういうことにうるさいので断っていたの。でも、1年間ぐらいずっと言ってきていたので、東宝を辞めた後、仕方がないから個人的な記念のつもりで撮らせてあげたんですよ。そうしたら、そのカメラマンが勝手に週刊誌に売ってしまって…」(Web「テレ朝POST」でのインタビューより)

「ひし美ゆり子写真集 YURIKO1967-73」

 しかし運命は不思議なもので、このグラビアの流出によってひし美のナイスバディは芸能界中に知れ渡り、逆に仕事依頼が殺到した。ひし美本人もこの勢いには逆らえず、現在のひらがな交じりの芸名に改名し、心機一転再スタートを切った。

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 ヌードの流出に母親は怒り、父親は何も言わなかったそうだが、後年、父親が自分のグラビアの切り抜きをスクラップしていたことを知って驚いたという後日談もある。

 その後はセクシー路線の仕事も増え、代表作は26歳で出演したテレビドラマ『プレイガール』。美女揃いの保険調査員たちがパンチラありヌードありで活躍するセクシーアクションドラマとして大人気となり、役名は女優の名前がそのままだったのも特徴で、ひし美の役名も「ゆり子」だった。この番組で、ひし美は『ウルトラセブン』の時以上の知名度を手にした。

若かりし日のかわいすぎる1枚 本人Xより

 映画でも脱ぐ役が相次ぎ、25歳で出演した『不良番長 一網打尽』では風俗嬢を熱演。組織同士の抗争に巻き込まれてしまい、山城新伍演じる敵役の前で「助けてくれるならなんでもするわ!」と言ってテーブルの上に全裸で仁王立ち。山城に全身をまじまじと見られる過激なシーンも体当たりでこなした。岡崎との出会いもこの映画だった。

 家族や親戚の手前、人気急上昇中の日活ロマンポルノ映画への出演は断っていたが、丹波哲郎主演の時代劇ということで引き受けた『忘八武士道』(73年)では、公開時にタイトルの前に「ポルノ時代劇」と付けられてしまったこともあるという。