5月23日、大相撲夏場所で2場所連続優勝を決め、第75代横綱昇進を確実にした大の里(二所ノ関部屋)。アマチュア横綱として昭和以降最速で大関に上り詰めたが、意外にも初土俵は黒星からスタートしていた。大関昇進後の昨年秋のインタビューを抜粋してお届けする。(年齢、肩書は当時。インタビュー全文は「週刊文春 電子版」で公開中)
スピード出世を支えた“親方の言葉”
日本体育大時代、2年連続のアマチュア横綱に輝いた大の里(本名・中村泰輝)は、昨年5月の夏場所、幕下十枚目格付出で初土俵を踏んだ。付出とは、アマ時代に優秀な成績を収めた力士の地位を優遇する制度。初土俵から所要9場所での大関昇進は、昭和以降で最も早い。新入幕から数えて所要5場所も、年6場所制となった1958年以降、最短の記録だ。
こうして記録的なスピード出世が注目されがちだが、大の里の道のりは、意外にも黒星から始まっている。
「そうなんです。初土俵の初日は負けました」
敗れた相手は日体大の先輩の石崎(現・朝紅龍)だったが、大の里には、入門前からライバルと目される別の存在がいた。高校と実業団のアマタイトルを引っ提げ、元横綱の白鵬率いる宮城野部屋(現・伊勢ヶ濱部屋)に入門した落合、現在の伯桜鵬である。昨年初場所、幕下十五枚目格付出で初土俵を踏んだ伯桜鵬は、7戦全勝で幕下優勝。史上初となる幕下付出から所要1場所での十両昇進を決めた。
その2場所後にデビューしたのが大の里だった。
「入門前からよく比べられたのが、1場所で十両に上がった伯桜鵬関でした。自分は初土俵の初日を落として悔しかったですけど、それで肩の荷が下りたところはありました」
デビューの一番を白星で飾れなかったものの、大の里はその後に6連勝。ただ、全勝を逃したことで、伯桜鵬に続く1場所での十両昇進はならなかった。次の名古屋場所では苦戦し、3勝3敗で迎えた最終戦に勝ってようやく勝ち越し。ここまで難なく番付を駆け上がってきたわけではなかった。
「いつも自分の胸にあったのは、入門した時、親方から言われた『出世の早さは意識しなくていい。最終的にどこ(の番付)にいるかが大事だ』という言葉。僕はそれを信じ、自分に言い聞かせて取り組んできました」
以後の快進撃は周知の通りだが、大の里はこう続ける。
「順風満帆に見えるかもしれないですが、場所ごとに悔しい負けを経験し、親方と稽古を積んで、周囲にも支えられながら、段階を踏むように壁を1つずつ越えていきました」
現在配信中の「週刊文春 電子版」では、大の里インタビュー完全版を公開。師である二所ノ関親方への思いや口にしていた自身の“課題”、アマゾンプライムで見ていた意外なドラマなどについて赤裸々に明かしている。
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