手足がちぎれ飛び、血の海で足元が滑るなか脱出したが…
実はこの2日前、27日には32軍は南部へ撤退を決定して、この29日には牛島満軍司令官以下司令部は摩文仁(まぶに)の新司令部にすでに退いていた。「郷土部隊(永岡隊)は首里城を死守せよ」という命令を受け、翁長さんらは置き去りにされていたのだった。
翁長さんは煙の充満する暗い壕内でいっとき片目が見えなくなり、永岡隊長は自決をしようとしていたが、周囲が説得。司令部を追うように南部へ撤退することになった。手足がちぎれ飛び、血の海で足元が滑るなか、隊長は少女に自分のベルトを掴ませ、転ばないように脱出をはじめた。
ところが壕を出たところで翁長さんは遺体を踏んで崖から転落してしまう。さらに、物音を聞いた米兵に自動小銃を乱射され、弾丸はリュックサックを貫通して翁長さんの背中をえぐった。リュックには預かった兵士の遺書などが入っていたが、失ってしまった。
おびただしい遺体のなか、南へと歩き続けた
ひとりになった翁長さんは、それでも隊に追いつこうと、おびただしい遺体のなかで自分も死んだふりをして息をひそめながら、南へと歩いていった。血が流れ出る背中の負傷を自分で止血し、遺体の浮く水たまりの水を飲み、爆弾で合羽に火がつくこともあったが脱ぎ捨てて、ひたすら歩き続けた。
上がり続ける照明弾の下、何千の遺体の山を見ながら、激しい死臭をこらえながら進んだ。識名に抜ける坂のあたりまできたとき、橋が落とされているのが分かった。周りは死体ばかりで生きている者はいない。大声で泣き叫んだ。
「お父さん、お母さん、助けに来て。私ここにいるけど、死にたくない」
15歳の子どもである。それでも進むと、溝のなかから声がかかる。「女学生さん、助けてくれ」。負傷した人のようだが、自分自身大怪我をしていて、歩くのもやっと。ごめんなさいごめんなさいと謝りながら通り過ぎるしかなかった。この道すがらでも兵士にスパイを疑われたが、隊長や他の兵士たちの名を言うことで解放されている。
