ペデストリアンデッキの正面からは、まっすぐ西に向かって目抜き通り。道沿いには金融機関などもあるが、すぐに国道6号との交差点。国道の北側を見れば、ロードサイドに飲食店などが集まっているのが見える。クルマ通りも多いし、むしろこちらの方が駅前よりも賑やかなのだろうか。
国道6号を反対に南に下れば、すぐに大利根橋で利根川を渡る。もちろん常磐線と同じく、利根川を渡れば向こうは千葉県だ。この茨城県内に入ってからの国道6号は、1960年代に開通したいわば旧道のバイパスにあたる。
だから取手駅西口もそれ以降に整備された新しいエリアなのだろう。それ以前はいわば“駅裏”。取手の町の中心は、実は西口ではないようだ。
ならば、駅の東側に出なければならない。
といっても、取手駅に戻っても自由通路があるわけではないから、他のルートで東口を目指す。駅の南北にもホームの下を潜る通路や地下道があるのだが、それではちょっとつまらない。駅前から「リボンとりで」の脇を抜けて、川沿いの道から取手駅東側に出てみよう。
県道を歩いてガードを潜ると、この町のルーツが見えてきた
利根川沿いの県道11号を歩いてガードを潜ると、老舗の旅館やビジネスホテル。その先は商店街のようになっている。
いかにも老舗と思しき造り酒屋や豆腐店などがあって、呉服店の類いも目に留まる。街灯の上には「本陣通り」と書かれた旗が掲げられていた。本陣、つまりかつて宿場町がこの一帯にあったというわけだ。
水戸街道取手宿。それが取手の町のはじまりだ。
明治の半ば、まだ常磐線が開通していない頃に俳人の正岡子規が取手を訪れている。そのとき見た取手の町について、「今迄にては一番繁華なる町なり。処々に西洋風の家をも見受けたり」と『水戸紀行』に書いている。
まだ鉄道も通っていないような地方都市に西洋風の家があるというのは珍しい。どうやらその頃の取手は、なかなかの“都会”だったようだ。


