立川談志に言われた「天下取っちゃえよ」

 太田光が落語家の立川談志を尊敬し、コンビで初めて談志と会ったときに「天下取っちゃえよ」と言われたというエピソードも現在まで語り草だ。だが、それがいつの出来事か、いまひとつわからなかった。筆者はてっきり爆笑問題が再ブレイクしたあとだと思っていたのだが、実際には完全復帰を目指していた最中の1993年暮れのことだという。

 このとき、爆笑問題の二人は、放送作家・タレントの高田文夫の紹介で、当時談志が銀座のソニービルのSOMIDOホールで開催していた「SOMIDO寄席」に出演した。「天下取っちゃえよ」の激励の言葉は、その打ち上げの席で出たものらしい。

立川談志 ©文藝春秋

 ただ、光代社長の回顧ではこの言葉は出てこず、談志は、飲めない酒を飲まされ真っ赤になった太田に向かって「お前さんはしょうがない。この道を行くしかない。才能があるからな」と言い、さらに同じく下戸でうずくまっていた田中を指さすと、「こいつは“日本の安定”だ。いいか、絶対に切るんじゃねぇぞ」と告げたとある(『文藝春秋』2024年4月号)。

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田中裕二〔2008年撮影〕 ©文藝春秋

 時期がいつだったかなど細かいことではあるが、再ブレイクのあとではなく、その途上で談志に激励されたというのは結構重要なのではないか。実際、光代社長はこれを励みとして、翌年には、爆笑問題の本格復帰を賭けて単独ライブを、このときと同じSOMIDOホールで開催している。

 筆者が初めて爆笑問題の存在を知ったのは1993~94年頃で、それもテレビなどに出演しているのを見たのではなく、『宝島30』で彼らが連載していた漫才形式の時事コラムによってだった。二人は太田プロを抜けたのちテレビやラジオのレギュラーがまったくない時期にも、雑誌には結構登場していた。逆にいえば、ライブ以外にそれぐらいしか仕事がなかったということだろう。『宝島』での連載では、音楽評論家の渋谷陽一がゲスト出演し、今後どうしようかと悩む二人に発破をかけるという回もあった(1992年7月9日号)。