田中は少なくとも芸に関して悩むことがなく、芸人としてとくに野心もないまま来た。それにもかかわらず、本来なりたかったアナウンサーのような司会の仕事ができたり、大好きな競馬やプロ野球などの番組が持てたりと、爆笑問題が売れたおかげで夢を次々とかなえていった。これに対し光代社長はあるときふと、太田と「自分たち夫婦は田中のために働いているのではないか」と気づき、愕然としたことがあると明かしていて(『文藝春秋』2024年11月号)、思わず笑ってしまった。
睾丸を摘出、くも膜下出血と脳梗塞で救急搬送され……
もっとも、田中もずっと順調だったわけではない。2000年には精巣腫瘍が見つかり、睾丸を一つ摘出している。さらに2021年にはくも膜下出血と脳梗塞で救急搬送され、一命を取り留めたあとも後遺症が出ないか危ぶまれるも、幸いにして無事に回復する。
病後の田中に光代社長がふと、いまからやりたいことはないのかと問うと、《もう俺、やりたいこと全部実現しちゃったよ。だからない!》と答えたという(同上)。すっかり“余生モード”で、生涯現役を目指す太田とは対照的だ。加えて、2015年に結婚したタレントの山口もえとのあいだに3人の子供を抱えるだけに、《仕事を頑張んなきゃっていう感覚よりも、子供たちを頑張って育てなきゃっていう感覚はありますよね》とも語っている(『Quick Japan』Vol.156、2021年6月)。
それでも別のところでは、《実際問題、まったく仕事をやらないってわけにもいかないし。難しいですよね、完全休養は。もしそうなったら太田が死にますから(笑)》と語っているところからすると(『週刊SPA!』2021年5月18日号)、田中も自分の役目は重々承知なのだろう。
還暦を迎えても持ち続ける“青臭さ”
そんな爆笑問題の二人も今年そろって60歳の還暦を迎えた。ちなみに立川談志がいまから32年前に「天下取っちゃえよ」と二人に言ったときの年齢は57歳と、現在の彼らより若かったことに驚かされる。当時の談志がすでに大御所というべき存在にあったことを思えば、なおさらだ。
もちろん、いまと昔では還暦の意味合いも変わっているのは当然とはいえ、爆笑問題がこれだけキャリアがありながら、大御所感を一切抱かせないのは、二人が青臭さをいまなお持ち続けているからではないか。
「青臭い」とは、かつて太田が自分と同じく毒舌でブレイクしたビートたけしとの違いを問われて挙げていたことだ。彼いわく《青臭いんじゃないかと思うんですよ。たけしさんはすごくうまいです、毒の表現の仕方が。それと、存在が圧倒的だから、「あの人が言うなら許せる」という人がいっぱいいるし、「しょせんオイラは足立区のペンキ屋の息子」っていう立ち位置もあるから許せちゃう。そういうバックグラウンドが僕はないから、「生意気だ。許せない」になるんです》(『週刊朝日』2006年5月19日号)。
この発言から20年近くが経ち、60歳になってもなお「生意気だ」と言われ続けているのは、そのスタンスを極めたともとれるし、何より精神的に若い証拠ではないか。今後も、何かにつけてむきになる太田と、それをなだめながらも時折子供のようにはしゃぐ田中という名コンビぶりで楽しませてほしい。



