人は知らないミュージシャンのライブに行くか

 映画について考える前に、音楽市場について話したい。音楽産業では、ストリーミング収入とともにライブが収益源の大きな柱となっていることはよく知られている。

 ライブというのはコピーできない一回性の体験として、コピーが容易なデジタル時代に逆説的に価値を高めたものの一つであるが、一つ大きな特徴を挙げるなら、そこは基本的に完全な新曲を聴きに行く場所ではないということだ。どんなミュージシャンのライブであれ、盛り上がるのは基本的に誰もが知る定番の名曲であったりする。

 そして、一曲も聴いたことのないミュージシャンのライブに突然行くという行動を取る人は少数派だ(行ってみると案外楽しいものだが)。音楽ライブに足を運ぶ人は基本的に、そのミュージシャンとその楽曲をよく知った上で足を運ぶ。

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写真はイメージ ©maruco/イメージマート

 音楽ライブはそれで良いのだ。なぜなら、いつも自宅で聴いている慣れ親しんだ曲を、大勢のファンとの一体感、高揚感を味わうためにライブは存在するのだから。日常とは異なる祝祭空間を求めて人はライブに行くのであり、同じ音楽を愛する人々とその一体感を共有する体験は何ものにも代えがたい魅力がある。

“推しの晴れ舞台”としての映画館

 現在の映画館は、音楽ライブ会場に近いものになってきているのではないか。

 それは音響のプレミアム化やスクリーンサイズの巨大化など、技術的な理由にも後押しされているが、なにより同じ空間で同じ作品、同じキャラクターを愛する人々と空間を共有できるという機能が非常に強く働いているように思える。

 とりわけ、2次元のアニメキャラクターにとって、映画館は今最も華やかな晴れ舞台と言っていい。2次元キャラクターは画面の中に存在するものであり、最も大きなサイズで存在できる空間は映画館だ。ファンたちはそんな晴れ舞台を共有するために劇場に通う。キャラクターを非日常空間で祝福するという動機であれば、たとえ物語に飽きたとしても楽しめる要素は多いのではないか。

 アニメIPメガヒット化の理由は、「推しエコノミー」化によって映画館がキャラクターの祝祭空間と変化しつつあることが背景にあるのではないかと筆者は考えている。