同じ映画なのに結末が変わる!?
そんな推しの晴れ舞台を応援しにいくという行動原理を顕著にくすぐる作品が増加しつつある。今年、最も顕著な実例として挙げられるのが『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』(以下、『ヒプマイ』)だ。
この作品は、劇場に集まった観客の投票によって勝敗が分岐するシステムを採用し、映画であっても一回性の強い鑑賞体験を可能とした。
観客が声援を出せる応援上映スタイルを採用しており、毎回集まる観客が違えば、応援スタイルも異なるし、観客投票の勝敗によって、展開が分岐する。劇場ごとにどのチームが勝ち残りやすいかがデータで可視化され、それぞれのチームの「聖地」のような映画館が生まれ、劇場ごとに異なる鑑賞体験を生み出していた。
本作は全編ライブパートで構成されており、物語がないと言っていい(勝敗が決した際のリアクションや掛け合いはある)。これまで映画の主流だった「物語映画」とはまったく異なる存在の作品と言える。
『ヒプマイ』のような分岐システムこそ採用していないが、全編ライブアニメーションで構成される『劇場版 うたの☆プリンスさまっ♪ TABOO NIGHT XXXX』(以下、『うたプリ』)も同様にライブ体験に特化した作品だ。これらの作品は物語を楽しむのではなく、映画館をライブ会場とし、ファンとキャラクターが空間をともにする場として設計されている。
『ヒプマイ』や『うたプリ』は極めて特異な事例ではある。しかし、確実に増えている。
そして、現在のアニメ人気を支えているのはキャラクターの人気であり、大なり小なり、ファンがアニメを映画館に観に行く動機は、好きなキャラクターの活躍を見るという点が大きい。
メガヒットを生み出しつづける『名探偵コナン』シリーズは、毎年、大きくフィーチャーされるキャラクターを変える方式を採用している。それが「今年は誰が活躍するのかな」というファン心理を駆動させる機能を果たし、驚異的なヒットを生み出している。「最低でもあと5回観に行きたい」筆者の隣の観客は、『100万ドルの五稜星』に推しているキャラクターがきっといたのだろう。
映画館が2次元キャラクターにとっての晴れ舞台であり続ける限り(映画館以上の晴れ舞台が登場しない限り)、あるいは「推しエコノミー」が終わらない限り、人気IPを原作に持つ劇場アニメの優位性は動かないと筆者は考える。
映画館側も動画配信への対抗意識として、大型化、プレミアム化を進め続けている。ストリーミング配信で気軽に作品が観られれば観られるほど、祝祭空間としての映画館の価値は逆説的に高まり、それは劇場での鑑賞体験の意味を変えていくことになるだろう。

