音楽学校の先輩・淡谷のり子が「蒸発」した朝を発見

そんな事態が発覚したのは、朝が蒸発して5日目ぐらいのこと。ずっとアパートに閉じ込めておくわけにもいかないと思った守綱は、仕事先に朝を連れて行くようになり、自分がバイオリンを弾いている舞台の外に椅子を持ってきて朝を座らせ、たびたび様子を見に来ていた。そこを通りがかったのが、音楽学校で朝の2学年上だった淡谷のり子だった。

淡谷にかわいがってもらっているという話を朝から聞いていた兄は、朝が蒸発した際、朝の居場所について心当たりがないか淡谷に相談しており、思いがけない場所での再会となったわけだ。

「こんなところでいったい何してるの? お兄さんが学校に調べにきたし、家じゅう心配して大騒ぎしてるわよ。正直にちゃんとほんとうのことをいいなさい。悪いようにはしないから」

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そんな淡谷の後押しがあり、そこから守綱の叔父が北海道の朝の両親のもとに結婚の申し込みに行き、父が激怒、母は父に「お前の教育が悪いから」と怒鳴られ……という流れとなる。

両親に激怒されるも結婚、翌年、徹子が生まれる

朝は音楽学校を中退して結婚。黒柳徹子が生まれたのは、その翌年。守綱には定収入がなかったため、朝の母が心配し、お金や食料品を送ってくれることもあったという。

「お米がなければ食べなきゃいいという人に、母子五人よりかかるわけにはいきませんでしたから」(『チョッちゃんだってやるわ』より)と言うように、生涯バイオリン一筋だった守綱に生活上のつらいことや面倒なことは一切気取られないよう過ごし、全てを背負ってきた朝。

「人さらい」までして強引に妻にした朝に対する守綱の執着は生涯続いたようで、朝は守綱の機嫌が悪くなるため、クラス会も一切出席しなかった。しかし、そんな朝に徹子はこう語ったと言う。

「女として、ママくらい幸福な人はいないわよ、親孝行な子どもたちに囲まれて、いい友人をたくさん持って、まあいろいろあったでしょうけど、何といったってパパにあんなに愛されたんですもの」(『チョッちゃんだってやるわ』)

ちなみに、『チョッちゃんのここまで来た道』にはいつでも一緒だったという夫婦の仲睦まじい様子のツーショットも数点収録されており、守綱が朝にピタリと寄り添う姿が印象的だ。一部キャプションにはこんな文言がある。

「生前の写真のどれも、パパは私の肩に手をかけています」

田幸 和歌子(たこう・わかこ)
ライター
1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など
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