「上映中はお静かに」どこの映画館でも、上映前に注意のショートムービーが流れる。もちろん大切なことだ。意外にマナーが悪いのが映画祭上映での評論家や記者などの業界人で、自分は特別と言わんばかりに上映途中でドカドカと入って来てはスマホで連絡をチェックし、仲間に挨拶し、もう分かったと言わんばかりにまた途中で出て行ったりする。言うまでもなく、そういうのは良くない。
でも映画『窓ぎわのトットちゃん』を劇場で見ている時、もし上映中にあなたのまわりで子どもが席を動いたり、映画の最中に声を上げてしまうタイプの子どもがいたとしたら、この映画にかぎってはそれを迷惑だとか、マナー違反だとか、静かにできない子どもを連れてくるべきじゃないとか思う気持ちをおさえてもらうことはできないだろうか。
筆者がこの映画を鑑賞した川崎の映画館でもそういう子どもが何度か上映中に声を発していたが、それをとがめる観客はいなかったし、筆者も不快に思わなかった。これはそういう映画なのだ。なぜならこの作品はそういう子どもたち、「沈黙できない子どもたち」をテーマにし、肯定する映画だからだ。そしてこのアニメーション映画『窓ぎわのトットちゃん』は、評価・興収ともに豊作と言われる今年の日本映画の中でも、最も重要で優れた作品のひとつである。
黒澤明以外のほとんどの監督からオファーが
「(映画化は)42年間断ってきたのよ」
12月8日に放送された『徹子の部屋』の中で、主題歌を担当するゲストのあいみょんに対し、黒柳徹子はそう語っている。1981年に講談社から出版された『窓ぎわのトットちゃん』は、国内800万部、世界で2500万部。多くの若い世代は書店に行かずとも、日本現代史の年表で社会現象、歴史的事件としてそのタイトルに出会うだろう。
映画化の話が殺到しないはずはなく、「よく冗談で言っているのですが、あの黒澤明監督以外のほとんどすべての監督から、ありがたいことにお手紙をいただいたのを今でも覚えています」とパンフレットで黒柳徹子本人が回想するほどの社会現象だった(1987年に放送されたNHKの朝ドラ『チョッちゃん』は黒柳徹子の母、黒柳朝の自伝を原作にしており、要はトットちゃんの許可が降りないのでその母の自伝を朝ドラにしたわけである)。
黒柳徹子が商業主義から守ってきたもの
映像化すれば必ずヒットし巨大な利益を生んだはずの社会現象の中で彼女がそれを拒んできたのは、その中に描かれる教育、障害、差別などのテーマをブーム渦中の商業主義から繊細に守ってきたからなのだろう。
21世紀に原作者によって封印を解かれ(2017年にテレビドラマ化が実現している)、アニメーション映画として再構築された『窓ぎわのトットちゃん』は、黒柳徹子が守り抜いてきたテーマの繊細さを表現することに成功し、期待に答えている。