専門的な話はさておき、一聴して、トリッキーなフレーズだと感じなかった人は少ないだろう。あと――こりゃ、カラオケで歌いにくいぞと。そんな味付けの強い楽曲が、毎朝毎朝流れるわけである。

後半に「ザ・朝ドラ」から「シン・朝ドラ」になる

しかし、見ているうちに、ドラマの次なる展開が「賜物」にある種の必然性を与えるような気がしてきた。

来たる6月、『あんぱん』の戦争シーンは重くなりそうだ。『NHKドラマ・ガイド 連続テレビ小説 あんぱん Part1』(NHK出版)における「やなせたかし・暢夫妻の歩み」によれば、やなせたかしは、1941年に召集され、小倉の野戦重砲部隊に入隊し、1944年には中国・福州に派兵され、復員は終戦翌年の1946年。まるまる5年間、軍隊にいたことになる。

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NHKの公式サイトにあるWEB特集「なにをして生きるのか~俳優・北村匠海さんが向き合う やなせたかしさんの戦争と正義」には、中国戦線での厳しい体験を語る言葉が書かれている。

――「戦う前に腹ぺこでフラフラ。タンポポの根っことか手当たりしだい食べてました」

しかし、戦争の艱難辛苦と、それに抗う女性を描くのが、朝ドラにおける一種の「必要条件」、つまり「ザ・朝ドラ」としたら(もちろん、平均的な朝ドラを超える戦争表現を期待するものの)、やなせたかしの戦後の人生に、スポットが当たるであろう後半には、『あんぱん』が「ザ・朝ドラ」を超えた「シン・朝ドラ」になれる可能性があると考えるのだ。

ありきたりなJポップでないからこそ期待できる展開

先の記事より、やなせたかしの戦後はこんな感じ。何だかあっちこっち忙しそうだ。正直、行き当たりばったり感もある。でも、とっても賑やかで楽しそうではないか。

●1946年(やなせたかし27歳):高知新聞社社員に(ここで小松暢と出会う)
●1947年(28歳):三越宣伝部に勤める。暢と結婚
●1953年(34歳):三越退社。漫画家として活動開始
●1960年(41歳):永六輔監修ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の美術担当
●1961年(42歳):『手のひらを太陽に』作詞(作曲:いずみたく)
●1969年(50歳):手塚治虫のアニメ映画『千夜一夜物語』の美術監督
●1973年(54歳):絵本『あんぱんまん』上梓
●1976年(57歳):『ミュージカル・メルヘン 怪傑アンパンマン』初上演
●1988年(69歳):テレビアニメ『それいけ!アンパンマン』放送開始