「生きる力」を育てられた波照間島での生活とは?

――波照間島では、どんな生活をしていましたか。

ルイ 波照間島は小さい島なので、都会のようになんでも揃っているわけではありません。何かが壊れたら自分で修理するのも、夕飯のおかずのために魚を釣るのも、島では当たり前の光景です。

 1人で困っている人がいたら、近所の人達が集まって協力しあう姿もよく見かけました。僕も、何度もおじぃとおばぁに助けられましたね。波照間島では、「生きる力」を育ててもらいました。

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魚を釣り上げるルイさん

――それでも、5年ほどで島を離れた理由は何だったのでしょう。

ルイ 大学に通いたくなったんです。僕はあまり勉強や学校が好きじゃなかったから、中学卒業後は、高校に進学しませんでした。

 でも、島で暮らしているうちに、その土地に根付く文化や歴史、コミュニティの成り立ち、そして環境問題に興味を持つようになって。早速受験勉強を始め、関東に戻って大学で地域社会や環境問題について学びました。

 学ぶこと自体は楽しかったのですが、やっぱり座学も学校も苦手で。卒業の目処が立った時点で、もうカナダに渡ってましたね。

ヨットを気軽に楽しむ人たちが多かったバンクーバー

――なぜカナダ移住をきっかけに、ヨット生活をスタートすることになったのでしょうか。

ルイ バンクーバーに移った時に、町の中心地にマリーナがあって、沢山のヨットが停泊していました。それを眺めていて、ふと、ヨットで南の島に行きたいなと思い付いたんです。沖縄でカタマラン(双胴船)に一度乗せてもらったことがあったんですが、その時の感覚を思い出して。

コル 日本ではマイナーなヨットですが、カナダのバンクーバーでは、気軽に楽しんでいる人も多いんです。20代、30代の若い人たちが集まって、ヨットを楽しんでいるコミュニティもあります。私とルイも、そこに入れてもらいました。

ルイ 現地で安い中古のヨットを買ってすぐヨットに移り住みました。それで近くのヨット乗りに「乗り方教えてほしいんですけど!」って飛び込んでいって。共通の趣味があるから、みなさんすごくフレンドリーでしたね。カタコトの英語しか喋れない僕にも、すごく良くしてくれました。

10代の頃から旅が好きだったというコルさん

――ヨットに乗れるようになってからは、どんな旅をしていたのでしょうか。

ルイ 当時住んでいたバンクーバーを出発して、まずはカナダとアラスカの国境近くまで行って。ハイダ・グワイという先住民族の聖地を訪れたり、アメリカの西海岸を転々としながら南下して、サンディエゴまでセーリングしました。

コル 船だと、とにかく行きたいところに行けるんです。特にカナダは土地が広大すぎるからか、陸路のない場所もたくさんあって。でもヨットなら、そんな不便な場所にもアクセスできます。

ルイ 日本で暮らしていた時から僕達はキャンプが好きで、よく秘境探しをしていました。日本だと秘境を探すのが難しいのですが、カナダにはそういう場所がたくさんあって、楽しかったですね。